大正から昭和にかけて日本のホーリネス運動を指導し、日本のキリスト教史に残る大正・昭和の2度のリバイバルを経験した故小原十三司氏の記念聖会が26日、同氏が56年間にわたり牧会した東京都新宿区の淀橋教会で開かれた。「徹底的ホーリネス人としての小原十三司」と題した講演で同教会主管牧師の峯野龍弘氏は、主がアブラハムに語られた「全き者となりなさい」(創世記17章1節)との御言葉から「徹底した信仰」を説き、小原氏について「徹底という一点を見つめてお放しにならなかった。これこそ先生ご自身の信仰の姿勢であり、生き方でもあった」と強調した。
この聖会は、小原氏に見た信仰を今に受け継ごうと、同氏の召天した1月を記念して毎年この時期に開かれている。今年で42回目を迎えた。
峯野氏は、エフェソ2章4節から10節を引用し、キリスト者の歩みは自らの能力ではなくすべてが神の恵みによることを強調した上で、キリスト者の「徹底した信仰」に至る必要不可欠な体験として、「きよめの転機」を強調した。
峯野氏は、「きよめの転機」について「主の御心に100%従いますという告白をささげ、自らのすべてをささげきってしまう、主との極めて尊い取り引き」と説き、「このきよめの転機を明確に持っているキリスト者でなければ、神は用いたいが用いられない」とその重要性を強調した。さらに、「徹底して主に100%ささげた私になるときこそ、自由を得、平安を得、どんな試練の中にあっても耐え抜くことができる」と語った。
峯野氏は、ジョン・ウェスレーの説いた「キリスト者の完全」について触れ、人間として落ち度のないことや道徳倫理的に完璧なことを意味するのではないことを前置きした上で「その心が主イエス・キリスト様にささげ尽くされているか」とそのポイントを強調した。また、「(動機の)純度を意味する」と説き、「主にささげ尽くす」という信仰の実践について、「それほどに神の愛がわかり、イエス様にすっかり恋い焦がれている純度の高いキリスト者のなす行為」と語った。
さらに、「愛は恐れを取り除く」と語り、「命まで、イエスのためにはささげ、首をはねられてもイエスに従うこの自由こそ、キリスト者の自由」と説いた。
最後に峯野氏は、「小原に合わせるのではない。小原がイエス様に合わせていらっしゃった」と力を込め、「徹底したきよめの信仰は、窮屈な信仰ではない。一番堂々と、一番自由に生きられる秘訣」と強調した。