御顔をエルサレムに向けて
ルカの福音書9章51~62節
[1]序
9章51節から19章27節までは、ガリラヤからエルサルムへ向かう途上での出来事を記す、ルカの福音書の特徴がよく表れている箇所です。十字架の死を通し栄光への道、これがエルサルムを目指す主イエスの道であり、主イエスに「ついて行く」弟子の道なのです。
今回の箇所を51~56節と57~62節の二つに分けて味わいます。
[2]「イエスは御顔をエルサレムに向けて」(51~56節)
(1)51、53節前半
御顔をエルサルムにまっすぐに向けて進む主イエスご自身の姿を、51、53節で繰り返し強調。困難と危険を覚悟して直面し、目標をしっかり定めて進む道。
(2)53節後半、54節
サマリヤ人の態度に対するヤコブとヨハネの申し出。エルサルムでの十字架の予表のように、サマリヤ人の拒絶。サマリヤ人とユダヤ人の反目については、Ⅱ列王17章24節以下、ヨハネ4章参照。またヤコブとヨハネの申し出の背景として、エリヤの例(Ⅱ列王1章10、12、14節参照)参照。
(3)主イエスのヤコブとヨハネに対する戒め(55節)
ご自身を歓迎しない人々に対して、「別の村に行」く主イエスの態度(9章5節参照)。
[3]「手を鋤につけてから」(57~62節)
この箇所の中心は、十字架を熟知し見定めて進む主イエスに従い続ける一事。
(1)57、58節
主イエスに従おうとするとき、何を覚悟すべきか。主イエスご自身がどのような道を歩まれたかを十分知る必要。
(2)59、60節
一つの理解は、霊的に死んだ状態にある人々に、現実的に死んだ人の葬りを委ねる意味と取る見方。いづれにしても年老いた父親への責任を言い訳にして、主イエスへの従順を引き延ばすことは、神への献げを言い訳に、年老いた両親への義務を怠ろうとする態度(マルコ7章9~13節参照)と同様、主イエスはその問題点を指摘。60節の後半の積極的勧めを注意。
(3)61、62節
継続!
[4]結び
(1)目標に向かい進む。主イエスの目標、エルサレム・十字架。
では私たちの目標は何か。天国を目指し進む歩みとは。ピリピ3章13、14節、ヘブル11章13~16節参照。
(2)第一のことを第一に、最善のものを主なる神に。
「いともよきものを きみにささげよ
きみはいのちをも なれにたまえり
十字架の死をも こばみたまわず
あがないのわざを なさせたまいぬ
いともよきものを きみにささげよ
あつきながこころ わかきちからを」(聖歌338 3番)
そして継続こそ私たちの取るべき道。
(3)言い訳からの解き放ち
表向きにはもっともらしく見えても、その本音は。人への義務を、主なる神への義務を果たさない言い訳にしない。また主なる神への義務を、人への義務を果たさない言い訳にしない(マルコ7章9~13節参照)。
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。