第2章 ウルトラ良い子の特質
8)生命畏敬志向性
少年Aは、いわゆる世間で言う家柄の良い高学歴を持つ両親の許で育てられました。父親は代々医者の家に生まれ育ち、自らも大学病院で外科医をしており、母親は音楽家の家に生まれ、音大を出て海外に留学したことのあるピアニストでした。
兄弟は、上に姉がおり、彼は三歳年下でした。小さい頃から兄弟仲は良く、とりわけ優しい性質の姉は弟のA君を愛して、いつも弟の面倒をよく見てくれました。A君も姉が大好きで、いつでも姉を慕い、快活にその後を追いかけていました。
ところが小学校五年ぐらいから、A君は徐々に寡黙な子になり、姉の後を慕って追いかけることもなく、自分の部屋に引き籠ることが多くなり、その部屋の中でただひたすら大好きな犬のプードルと二匹のハムスター、そして二羽のインコとだけ遊ぶ日々が続くようになりました。それのみならずあれほど大好きだった学校を、時々休むようになりました。
この頃、両親は彼にも将来は医者になるようにと強く奨励するようになり、そのためには良い中学校に進学し、勉学するようにと某名門校をめざして準備するように促しました。もとより小さい頃には、父親の医者であることに憧れを持っていたA君でしたから、医者をめざすこと自体は決していやではありませんでした。しかも、さほどがむしゃらに勉強しなくても常にクラスの上位をキープできるほどの学力がありました。ところが名門校をめざすよう促した両親は、その彼に更に予備校に通うように手続きし、気の進まない彼をしいて予備校通いを強要しました。
もとより心の優しいウルトラ良い子であったA君は、反発しないではじめの内は予備校にも通っていましたが、徐々に予備校に通うのが苦痛になり、遅刻したり休みがちになっていきました。するとそのことを知った両親は、その彼をかなりどぎつい言葉をもって叱責しました。このようなことが相次ぐ内にA君は、とうとう勉強自体が嫌になり、大好きな学校までが嫌いになってしまいました。
やがて六年生になった時、決定的な出来事が起こりました。それは予備校も行かず、学校さえ休みがちになってきたA君が、部屋に引きこもり犬やハムスター、そしてインコとばかり戯れているのに腹を立てた母親が、「学校も予備校も行かず、怠けて動物ばかり遊び呆けていないで、しっかり勉強しなさい! そんなことをしていたら将来お父様のように立派な医者になれませんよ。それどころか世間の笑い者になってしまいますよ! 今度またこんなことをしていたなら、絶対に家で動物は飼わせませんからね」と強く叱りつけました。
ところがその翌日もその同じことをしでかしたというので、怒った母親はA君の泣いて謝る言葉にももはや耳を貸さず、ついに犬だけは残して、ハムスターとインコを即刻他者に譲り渡してしまいました。母親はこうしたならば、息子が言うことを聞いて、勉学を再開するだろうと期待したのでしたが、残念ながらそれは大きな誤算であったばかりか、大きな悲劇の始まりとなってしまいました。なぜなら、この母親のとった行為は、A少年の優しく鋭敏なウルトラ感性を決定的に傷つけ、深いトラウマを与え、大きな心的外傷後ストレス障害(PTSD)を引き起こしてしまいました。
その日以来、A君は一切両親はもとよりのこと、大好きだった姉とも一切口を利かず、それでも無理に話しかけ口を開かせようとする母親には、恐ろしい形相で攻撃し、父親が力づくで説得しようとすると狂気して暴言暴挙に出て、物は破壊するは、刃物を振りかざすやらで手の施しようのない異常心理、異常行動を呈するようになってしまいました。何とそればかりではなく遂にはあんなにまで可愛がっていた愛犬のプードルを、裏庭でガソリンをかけて焼死させてしまいました。あれほどまでに生命を畏敬し、動物植物に心優しいA君の為した行為とは到底思えない恐ろしい現実がそこに結果してしまったのでした。
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。