第2章 ウルトラ良い子の特質
7)他者受容志向性
さて、次は他者受容志向性です。ウルトラ良い子たちは、本来は皆、他者受容的感性を持った他者に優しい、温順で、かつ包容力の豊かな資質を持った子供たちなのです。彼らは他者配慮に富み、特に自分より小さな子供たちや小動物、老人や病人など助けを要する弱い立場の人々に対して、援助の手を差し出すような、いたわりの心に富んだ人々なのです。隣人愛、弱者保護など生まれながらに人間としての尊い精神を、その人間性の内に内包しています。何と言う素晴らしい彼らであることでしょう。
ところがこれまたこのような彼らが、そのような恵まれた資質・感性を発揮する機会を与えられず、そればかりではなくかえってその資質・感性を逆なでし、それを抑圧し、否定し、無視されるような仕打ちに遭遇し続けることにより、遂にある時よりそのような良き資質・感性を全く持ち合わせてはいなかった者のように、振る舞うようになってしまうのです。何と人間とは不思議な存在でしょうか。のみならずものすごく凶暴で、一切他者の言うことは聞かず、受け入れず、全く聞く耳を持たない閉鎖的、排他的、かつ他者攻撃的な人間に変身してしまうのです。それはそれは信じ難いほどの正反対の人間性を露呈するようになってしまいます。
これはいったい何故でしょう。その理由はただ一つ、既に先にも述べたと同様に彼らはそれほどまでに決定的に、両親や周囲の人々によって彼らの他者受容的資質と感性を受容されず、かえって徹底的に痛みつけられ、傷つけられてしまったからなのです。それはあたかもその恨み返し、復讐のように思われがちですが、断じてそうではありません。それは彼らの傷つき病んだ心が生み出す、彼ら自身においてはもはや御し難い異常心理、異常行動であって、これは彼らの苦しみの果ての制し難い、得体の知れない心中のマグマの発露なのです。もはや哀れと言う他ありません。
しかし、それなのに悲しいかな、このような状態に陥ってしまった子供たちの深層の心理を理解できる人々が、余りにも少なすぎるのが今日の社会の現実です。とりわけ健常な人々の間では、ほとんど理解されず、むしろ不可解な出来事として忌み嫌われがちなのです。誠に残念な話です。
よく聞く言葉なのですが、彼らの親族や友人、知人たちはこう言うのです。
「先生、わたしたちには全く理解でないのです。あの子は、昔は心優しい、兄弟の中でも誰よりも気立ての良い、他人の気持をよく察知し振る舞う、温順な子供であったのに…。どうしてこのような惨いことをする人間になってしまったのでしょうか? 悪魔でも乗り移ったのでしょうか?」と。
しかし、断じて悪魔が乗り移ったのではありません。あくまでも長く続いた極度の非受容・抑圧・否定・無視などによる彼らの尊厳ある志向性に対する抹殺行為の弊害だったのです。
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。