祈っていた時に、音が聴こえてきて、その音をピアノで再現、その時思わされたこと、与えられた御言葉を歌詞につけて次々と作詞作曲を続けているシンガーソングライター知保子コストナーさん。ファーストアルバム「Sound from Heaven(天からの音)」を発売後、さらに天からの音が続々と聞こえ、現在21曲目の作詞作曲にとりかかっているという。
過去にある信頼していた人に裏切られ、心に深い傷を負っていたものの、クリスチャンとなり、主にある平安の中で徐々に癒され、「赦し」という曲が与えられたことがきっかけに、本当に「人を赦す」ということができ、信仰が更に深くなったという知保子さんに、天からの音が聴こえてきたきっかけ、信仰成長の証を聞いた。
○人から受けた傷を赦すのは、傷が深ければ深いほど、またその人に対する愛が深ければ深いほど難しいという事があると思います。ご自身のご経験から、「どうしても赦すことができない人、受けた傷を忘れることができない人」を赦し、忘れるためにはどうしたら良いと思われますか?
自分の努力では無理ですね。抗不安剤も、時間も、人の優しさや愛をもっても、無理でした。「赦す=忘れる」これは1セットです。思い出さなくなる…それが今の私なんです。出来上がったばかりの「悲しみの向こうに」の歌詞にありますが、苦しんでおられる方々が今持つ悲しみ苦しみの向こうにある神様がご用意して下さっている希望を信じ続けて行くことなのかなと思うんです。
この主に在る希望を失ったり、持てないと赦すことも忘れることもできません。御言葉に触れているとこの希望を持ち続けられるんですよね。やはりこれも私の場合、自身の努力ではないんです。音が聴こえている時、御言葉に特に敏感になりますから、自然と御言葉を「もっと、もっと」と欲するようになるんです。主の憐みですね。
音が聴こえなかったら…考えると怖いですが、そうでない方々の場合を考えてみました。私の場合は「聴こえる音」(音楽)という私が一番身近だったツールを通して神様が癒して下さいましたよね。私達人間は、全ての人が神様によって目的をもって創られました。ですから必ず私にとっての「音楽」にあたるものが、全ての方にあると思うんです。それを自分で探すのではなく、祈って委ねることで、神様に与えていただくのです。すると必ず示して下さいます。私は「音を下さい」と祈ったことはありません。与えられるようになってから、ジャンルが私の専科ではないジャンルの音楽が多く、聴きとりがあまりにも大変なので、「クラシックを下さい」、と祈ったことはありますが。
また神様とつながるために、妨げになることっていろいろとありますよね。あらゆる誘惑とか。これは私だけではなく、これまで多くの方々からお聞きしました。人は弱い者ですから…。私の場合は祈り手が助けてくれました。主人もそうですし、日本だけに留まらずいろんな国の兄弟姉妹が祈りで私を支えて下さっています。
そして「赦す」ためには、まず「自分にはできない」ということを知ることから始まります。私はここに自分を持ってくるまでにも、かなり時間がかかりました。高慢ですね。
○何をきっかけに天からの音が聞こえるようになったのでしょうか?
ある日祈っていた時でした。この時は抗不安剤もやめることができ、主が中心におられるドイツ人の主人との生活が幸せで、感謝のお祈りをしていた時のことでした。その主人との平安な生活への感謝と喜びの祈りだったからなのか、何と聴こえて来た音についた歌詞はドイツ語でした。
でもこの後2年くらい、全く音は聴こえませんでした。次に聴こえた時は、試練の時でした。「完全な愛」という歌が与えられた時です。完全な愛を人に求め続ける私はことごとく苦しみ(だって誰も持っていないわけですから)ズタズタになっていました。今思うと神様は「ここにいるよ」と言って下さっていましたが、神様とのパイプがか細かった当時、聴こえなかった、いえ聴く耳を持っていませんでした。ですから、本当に砕かれました。それでも音を聴き取っている時に、神様の「ここにいる」(完全な愛をお持ちの方が)というお声が心に届き、この歌ができました。そしてこの時から遅ればせながら、主人との関係も変わっていきました。それまでは見つめ合う関係だった気がしますが、その後は互いに同じ方向(イエス様)を向き、歩む者同士になれた気がしています。夫婦の関係も変わりましたね。それまで主人はありったけの力と信仰で私を背負い、どんなに大変だったことでしょう。
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