9日、2011年度東京基督教大学、東京基督神学校卒業式、大学院開設記念祝賀会が行われると同時に1949年10月16日に設立されて以来62年6カ月の歴史を有してきた東京基督神学校の閉校式が東京キリスト教学園(千葉県印西市)で行われた。
大学院開設記念祝賀会では、同大学神学部長小林高徳氏から東京基督教大学大学院開設の経緯が説明された。大学院開設は、1980年4月、東京基督神学校が東京キリスト教短期大学、共立女子聖書学院と合同し、東京キリスト教学院が設立されて後、検討されてきた。1990年には東京基督教大学神学部が開設されるも大学院設置については諸般の事情により断念された。2007年10月に学園中期計画として「将来の専門職大学院設置」が盛り込まれ、2009年3月には理事会・評議員会が東京基督神学校を募集停止し、大卒者を学部3年次で受け入れ、大学院又は専攻科を設置しての「教会教職課程」(4年制)の設置について議決された。昨年5月には文部科学省に大学院設置認可申請書を提出、同10月に文部科学大臣による大学院設置認可が下り、キリスト教福音主義として全国初の神学大学院が設置されるに至った。
小林氏は、同大学院について、「神学部全体の上に置かれる大学院。狭い意味での神学にとどめることなく、広くリベラルアーツ教育に立った教育研究の成果を反映させ、グローバル化した世界と高齢化社会において、教会を建て上げ、宣教をし、教会に仕えるための大学院です。小規模の大学ではありますが、教員は全員自前でそろえることができました。専任教員の努力、将来の教員育成のために砕かれた諸先輩方の犠牲を忘れてはならないと思います。大学院設置の中に主の恵みの御手がありました」と証しした。
同日行われた東京基督教大学、東京基督神学校卒業式では、創愛キリスト教会主任牧師で、1966年から73年まで教授会議長を務めた堀越暢治氏が「見よ!わたしは新しいことをする(イザヤ43・19)」と題して説教を伝えた。
堀越氏は、日本の教会の現状として「150年のプロテスタント宣教の歴史が経過しましたが、まだ一年間にひとりの受洗者もない教会が半数以上存在しています。新しいものを生み出す力がなく、半身不随状態の教会が多く存在しています。ニコデモは『新しく生まれ変わらなければならない』とイエス様に言われ、意味がわかりませんでした。地上のことを話してわからなければ、天上のことを話してもわかるはずがありません」と述べ、日本の教会が創造主が地上になされたことを良く伝える必要性を強調した。
いのちありがとうの会理事長も務める堀越氏は自身の心臓発作からの手術による回復、目の手術からの回復を通して体験した「いのちの尊さ」について証しし、「いのちのことを真剣に調べてみればいくほど、本当に感動します。耳の器官、目の器官、肺の器官、全部すばらしく作られています。人間そのものも一つの細胞から人間ができています。『目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ(イザヤ40:26)』とありますが、主が私たちを創って下さったとしか言いようがありません。この世界に同じ人はひとりもいません。それだけ主の前に大切な存在として創られていることを知って感動しました。永遠のいのちは唯一の真の救い主を信じることでいただけます。全知全能の主を信ずることによって、私たちのいのちの所有権を創造主にお返しするのです。体の中で自分が作ったものは一個もありません。全部与えていただいたものです。このことについて、『本当にありがとうございます』というのが、私たちの信仰の姿です。そして聖霊によらなければ、イエス様を信じることはできません。信じることができるのは、聖霊のはたらきです。『荒野に道を、荒地に川を設ける(イザヤ43・19)』―どうにもならない日本において、『永遠のいのち』をいただくことが大切です。新しく、荒野の中へ出ていく皆さん、是非『永遠のいのち』を伝えてください」と祝辞の言葉を伝えた。
続いて日本福音キリスト教会連合岩井キリスト教会牧師の上迫康二氏が祝辞を伝えた。上迫氏は「主が一番必要としておられる卒業生が待ち望んでおられるのは、今年の卒業生なのかなと思います。本当に社会が混沌としている状況の中にある中に皆さんが遣わされていきます。使徒のはたらき3章6節でペテロ使徒は『金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい』と言っています。皆さんが遣わされて行く場所は、学園とは違って困難な荒野です。富や名声、地位などの『ナザレのイエス・キリストの名』に代わる誘惑がたくさん満ちています。いつも『ナザレのイエス・キリストの名によって』という信仰をもって歩んでいってください」とこれから学園を出て社会に旅立つ卒業生らを励ました。
福音伝道教団大間々キリスト教会牧師の高木寛氏は、「卒業式であると共に、先に召され、最前線で主の働きに携わっている私たちにとっては、新しい同労者であり仲間である方を迎える大変嬉しい歓迎の式でもあります」と祝辞を述べた。
高木氏は、創世記3章を引用し、「罪を犯した人間の中に内在する普遍的で根本的な課題があります。3章8節で、人は神である主の御顔を避け、身を隠すようになりました。神と向き合い、交わることを避け、背を向ける傾向を心の中で深く持ってしまいました。罪を犯した人間の本質的な姿と、生きることへの苦痛と悲しみがあります。9節で神はなぜ『あなたはどこにいるのか』と問いかけられたのでしょうか。アダムとエバがどこにいるのか分からなくなって捜しておられるわけではありません。常に私たちが立っている状況や環境、位置を神は良く知っておられるはずです。知っていてなお、『あなたはどこにいるのか』と問いかけられました。神と向き合うことを避ける傾向と弱さを内に持ってしまっている人間に、『誰と向き合い何をしているのか』を深く考え、理解し、認識するように問いかけておられます。(神は)祈りと御言葉の奉仕に専念することを私たちに求めておられるということではないでしょうか」と伝えた。
高木氏は神と向き合うことなしに私たちは自分自身がどこにいて誰と向き合い何をしているのか、理解するのは不可能に近いと述べ、「神は私たちとの交わりの回復を求めておられます。どこにいてもどんな状況、環境の中にあっても、神以外の誰と向き合っていても、『あなたはどこにいるのか』と問うことによって、愛と憐れみを示してくださっています。この問いは、罪を犯した人間に対する神の普遍的で、根本的で、継続的な愛と憐れみの表れそのものです。誠実に責任を持って応答し、神の愛と憐れみを豊かに経験していただきたいと願ってなりません」と伝えた。
また社会に出ていく卒業生らに対し、「外側から、神との交わりを妨げる大きな力が働いていることも忘れてはなりません。エジプトのパロ王が採用したイスラエル人に対する労役政策では、イスラエル人に労役を課すことで、パロ王にとって『偽りの言葉』にイスラエル人が関わりを持つことを難しくさせました。パロ王の言う『偽りの言葉』とはモーセを通して語られる神の御言葉であり、パロ王はイスラエルの人々が真の神の言葉に関わりにくくなるようにさせてしまいました。卒業生の皆さんが遣わされるのは、神の言葉を見つめたり深く考えたりすることが難しい環境であり社会であります。神学することを妨げる力が働いている環境です。牧師といえども決して例外ではありません。神の言葉に関わることが大変難しい環境の中に入っていくことになります。学校生活では、神の言葉に関わることのできる素晴らしい環境の中にありました。これからは、神の言葉に接すること、考えることを妨げるような現代社会が待ちかまえています。過酷な労働は、イスラエルの人々を神の言葉から遠ざける働きがありました。皆さんの奉仕先には、神の言葉や祈りの声よりも、『あれもこれもしなければならない』という強迫観念に支配されやすいような環境があると思います。内側にも外側にも、神の言葉が働きにくくさせる社会に出ようとしています。『あなたはどこにいるのか』―この神から私たちに対する問いは、罪人である私たちの中に内実する弱さ、妨げる力に対し、それ以上の力をもって交わりを回復させようとする愛と憐れみ、恵みの表れです。みなさんが、『あなたは、どこにいるのか。どこを向いているのか、誰と向き合っているのか』―そのことを問われ続けていることを覚えていただきたいと思います。一方的に神との交わりを絶とうとしない限り、主は常に交わりの機会を開いてくださいます。『あなたはどこにいるのか』と問いかけてきます」と激励した。
東京基督教大学2012年度入学式は4月6日行われる予定である。現在入学手続き済み者数は、学部が2011年8月入学のACTS(アジア神学コース)生と編入生を含め合計で34名、大学院が16名、教会音楽専攻科が1名となっているという。また国際キリスト教福祉学科に限り、3月31日に第3期一般入試を実施することが決定した。同出願期間は13日から29日まで(窓口は30日12時まで)となっている。次回オープンキャンパスは4月4日に開催予定となっている。詳細は同大学教務課入試担当(0476・31・5520)まで。