本物の救い主とは、私たちを愛して下さる方であると使徒ヨハネは語っています。イエスは、私たちのために十字架の上で命まで捨てて下さいました。ここに、神の徹底的な愛が示されています。主の愛が与えられている私たちですから、今度は文句なしに、皆を愛していきましょうとヨハネは語ります。
1.主の愛の御業である十字架を忘れない
十字架にかかられる前夜、イエスはもう一つの象徴的な愛を示されました。弟子たちのほこりまみれの汚い足を洗われたのです。イエスは、互いに仕え愛し合いなさいということを自らの行動をもって示されたのです。神は御子キリストをこの世に遣わし、十字架の上で私たちの罪を背負わせ、私たちの身代わりにキリストを裁かれました。それによって私たちは救われ、神の愛が分かったのです。イエスの十字架の死は神話ではなく、歴史上の事実です。私たちクリスチャンはキリストの弟子ですから、キリストの愛をお手本とし、「互いに愛し合う者とさせて下さい」という祈りを心からおささげしましょう。
2.神との交わりの中に生きることを喜ぶ
自分独りだけの狭い世界に生きるのではなく、兄弟姉妹とともに歩むことが、どうしてそれほど大切なのでしょうか。第一ヨハネ1章3節に、「私たちが見聞きしたキリストを伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子キリストとの交わりです」とあります。「私たちの交わり」とは、人間的な交わりに終わらず、キリストによって救われた者同士の交わりであり、聖霊の働きにより、父なる神、御子キリストとの交わりに入れられることです。互いを愛する愛こそ神の内から出た愛ですから、その愛によって私たちは神との交わりをもつことができます。そして、神が味方であれば、誰も私たちに敵対することができず、この世の歩みの中で何も恐れず歩んでいくことができるのです。
3.神の家族の交わりの中に生きることを喜ぶ
第一ヨハネ1章7節に、「私たちが神と交わりを保っているならば、その交わりは周りの兄弟姉妹との交わりに及び、御子イエスの血によって互いの罪を清め、神に喜ばれる神の家族となることができる」とあります。私たちは、年齢も、個性も、生まれも育った環境も、仕事も、家庭の雰囲気も、偏差値も違います。でも私たちは主にある家族であり、キリストが一人一人の違いを愛して下さった愛で愛し合うことができます。そこに、本物の交わりが生じます。キリストの愛による神の家族がいることを、心から喜び合いたいのです。
キリストからいただいた圧倒的な愛の何万分の一でも、人々に注ぐことができるようになろうではありませんか。イエスは旧約の律法の教えを二つに集約されました。「心、思い、知性、力を尽くし、神を愛せよ。そして、あなたの隣人を自分自身のように愛せよ」。神から与えられた愛は、常に人々へと向かうことを忘れてはいけません。あなたの心の中に、愛で裏打ちされた信仰が働きますように。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。