第4節 インドから西アフリカへの旅
二週間のインド滞在の後、ブラウンは9月27日に列車で東南インドを発ち、ボンベイ経由で、西アフリカのリベリアに向かう旅を続けた。
前述の10月4日付の妻への手紙の末尾の一節には、東南インドを発つ模様をのぞかせてくれる言葉が記されている。
「次の日の火曜日、 9月27日は急いで鉄道の駅まで戻りました。そこでボンベイ行きの夜行列車に乗り、木曜日の朝、到着することができました。
このように、私のインドでの旅行は非常に忙しい旅です。睡眠は少ないし、絶え間ない風景の変化に私の心は支配されています。
インドでは宣教師たちが私に対してことのほか親切でした。ここでの経験は本当に素晴らしく、非常に貴重なものでした。いまでも、あることが懐かしく思い出されます。」
(In Memorial Charles Lafayette Brown,p86)
約1,000キロの夜行列車による二日間の長旅を経て、29日、ボンベイに到着した。ここはインドの西海岸に面するマハーラーシュトラ州の州都であり、地中海への汽船が出航する港湾都市である(1995年に英語での公式名称がボンベイBombayから、現地語のマラーティー語の名称にもとづくムンバイへと変更された)。
約四ヵ月前に、ブラウンは、このフランス南部の、リョンの南東にある地中海沿岸の第一の港湾都市であるマルセイユからインドを経て、東アフリカに向かったが、今度はそれと逆のコースで再びマルセイユに戻るために、10月2日、ボンベイ港から汽船に乗りこんだ。
このインド洋の西部海域では地域によってその時期は少し異なるが、おおむね4月から9月にかけては強い風が南西から北東に、つまりアフリカ方面からアラビア・インド方向に向けて果断なく吹き続ける。
ブラウンがインドから西アフリカに旅立った10月は逆に北東から南西へ向けて強い風が吹くことになる。
インド洋を渡り、スエズ運河を抜けて、地中海のマルセイユに港に至る二週間にわたる船旅の模様は、10月17日付となっている妻への手紙が伝えるだけである。
「 無事に朝、8時にマルセイユに到着しますので、安心してください。
朝の8時にここから抜け出せることは本当に幸せです。私にとって、この旅は他の人が経験する以上に大変、幸いなものでした。
再び、赤道に向けて旅をしなければなりません。再び、薄着に着替えなければなりません。暗くなると、しだいに暑くなっていきます。この旅では、いくつかの衣類を持っていなければなりません。
あなたの手元に地図があれば、私の今までの30日間の旅を辿ることができると思います。なんと素晴らしいことを私がしたかを想像してください。
10月2日、私はインドのボンベイを出航し、インド洋を渡り、紅海とスエズ運河を抜け、地中海を航行した後、マルセイュで別な汽船に乗り換え、ジブラルタルを通り越して、地中海に来ており、ここを回ると、その先は北アフリカです。
これから西海岸の赤道を目指す。10月の月日はまだ残されています。この旅は、かって横浜からサーレムへの14日間の旅程とほぼ同じ長旅でした。」(In Memorial Charles Lafayette Brown,p87)
ここで、インドからリベリアへのブラウンの旅程表を摘記しておくとこのようになる。
9月 1日(木) ダルエスサラームを出発し、インドに向かう
14日(水) インドのグントゥールに到着
15日(木) グントゥール市内見学
Dr.Victor.McCaulyの案内、国務大臣主催の
レセプションに出席
16日(金) チララに行く、チララからテナリ、夕方到着
17日(土) 夕、グントゥールに戻る
18日(日) 朝、孤児院を視察 礼拝に出席
夕、英語礼拝で説教
19日(月) 朝、車でサテナベーとサアラベットを訪ねる
20日(火) 車でレンティジンタラに向かう
21日(水) 朝、車でグントゥールに戻る
午後、レセプション
深夜、1時、タルバットに行く
22日(木) 朝、7時、タルバットに到着
午後、狩猟を楽しむ
夕、列車でサムルコットに向かう
23日(金) 朝、サムルコットに到着
徒歩でベダバーに向かう
24日(土) 車でドウラチショウラムに向かう
夕食会(50名)に招かれる
25日(日) ラジャムレドリで過ごす 礼拝説教4回
26日(月) ダデパリィグンデムからヒビマワラに向かう
27日 (火) 列車でボンベイに行く
29日 (木) ボンベイに到着
10月 2日 (月) ボンベイ港から汽船にて西アフリカ・リベリアに向かう
(続きはこちら)
(本文は「教会と宣教 第17号」日本福音ルーテル教会東教区-宣教ビジョンセンター紀要-2011年から転載しています)
=============================================
青田勇(あおた・いさむ)氏略歴
1975年 日本ルーテル神学校卒業
日本福音ルーテル教会牧師
1992年 本教会事務局・広報室長
1995年 本教会事務局長〔総会書記〕
2009年 日本福音ルーテル教会副議長
*画像は日本福音ルーテル教会のロゴ
クリスチャントゥデイからのお願い
皆様のおかげで、クリスチャントゥデイは月間30~40万ページビュー(閲覧数)と、日本で最も多くの方に読まれるキリスト教オンラインメディアとして成長することができました。この日々の活動を支え、より充実した報道を実現するため、月額1000円からのサポーターを募集しています。お申し込みいただいた方には、もれなく全員に聖句をあしらったオリジナルエコバッグをプレゼントします。お支払いはクレジット決済で可能です。クレジットカード以外のお支払い方法、サポーターについての詳細はこちらをご覧ください。
人気記事ランキング
-
日本人に寄り添う福音宣教の扉(213)伝統文化を大切にする日本宣教 広田信也
-
「摂理」教祖の鄭明析氏、懲役17年確定 女性信者らに性的暴行やわいせつ行為
-
今、旧統一教会を知るための3冊 溝田悟士
-
「世界迫害指数2025」発表 12カ国を「レッドゾーン」に指定
-
花嫁(17)生き難く ところざきりょうこ
-
カンタベリー大主教が正式に辞任 英国国教会、全世界聖公会のトップ
-
ワールドミッションレポート(1月11日):ケニア 愛と憐れみ、善意の輪が生み出す考えられない波紋(1)
-
ヨハネ書簡集を読む(8)「神の内にとどまり、神が人の内にとどまる」―心を安らかにされること― 臼田宣弘
-
失敗を失敗で終わらせない力 菅野直基
-
主は生きておられる(233)ありがとうハイビスカス 平林けい子