クリスチャンの人生において、飲酒したりR指定映画を視聴したり、悪口を言うことは、世の中とどうしても混じって行動してしまいがちな多くの領域の中の一部であり、信仰を異にする他者とつきあう際に行動のあり方にも迷う部分であるといわれている。
このような状況に置かれた場合のクリスチャンの行動指針として米ノースカロライナ州エレベーションチャーチ牧師のスティーブン・ファーティック氏は、「(これらの問題について)鍵となる答えを与えようとしているわけでもなく、聖書の御言葉から白黒はっきりさせようとしているわけでもありません。私がそのようなことまで判断するのは行きすぎであると思っています」と前置きした上で、同牧師はクリスチャンが自身の嗜好をベースにして絶対的な真理を見出そうとしてはいけないと警告した。
クリスチャンとして「してはいけないことリスト」を作成するよりも、信仰者は自身に「それは最高のことだろうか?それは他者を力づけるだろうか?義務としてしなければならないことだろうか?」の3つの問いを投げかけてみることを勧めている。同氏は「そしてただ自分が『できる』というだけでは『そうするべき』というまでの動機付けにはならない」と警告した。
その上で、キリスト教の価値観と世の中の価値観を混合させ、世の中的な振る舞いから抜け出ない自分に妥協してしまえば、霊的な成長をそこで阻止してしまっていることになると警告し、「もし死んだら天国に行きたいと思われるでしょう。地獄の炎で焼かれたいとは思わないでしょう。そのために適切な生き方を考えてみるべきです。そうすれば『何が間違った行為であるか』というよりは『なにが愚かな行為か』ということに気づくでしょう」と述べた。
飲酒、R指定映画、悪口を言うという世の中とのグレーゾーンに位置する問題について「どこまで自分が妥協できて、天国に行ける限界の行為だろうか」と考えるよりもむしろ「天国に行ける限界の行為に近づくことを止め、神様の御心の中心になるべく近づくにはどうするべきかを考えてみるようにしてください。私達クリスチャンは代価を払って買い取られたのです。私たちクリスチャンの自由は愚か者になるため、罪に溺れるためのライセンスを得たことにあると思ってはいけません」と促した。
このような世の中の行為とクリスチャンの行為のグレーゾーンに位置する問題として、飲酒とR指定映画の視聴が例に挙げられた。ファーティック氏自身は同氏の家庭が代々アルコール依存症であったため、その傾向を引き継がないためにも飲酒をしないと心に決めているという。なおR指定映画については、ファーティック氏は「両親に対して不敬な振る舞いを促すホームコメディ作品がR指定映画よりももっと罪深いのではないだろうか」と述べた。ファーティック氏自身は、他のクリスチャンを喜ばせるためというよりも、未信者の躓きとならないためにもこのような映画を見ないようにしているという。
米ノースカロライナ州のメガチャーチであるエレベーション・チャーチでは最近「カウ・ティッピング」と題した一連の説教を行っており、その中で教会が避けがちな世の中的な振る舞いの是非についての問いかけを行っている。同教会ではどんな問題でも避けることなく取り組んでいくことを強みとしている。