国分市に東先生を訪ねた数ヵ月後、「榮牧師。あなたのことを書きましたよ」と『トッピーの来る島』が送られてきた。音楽の時間のことが実名で書いてあった。うれしかった。出版記念会にも招かれ、ケニアから帰国直後だったが駆けつけ、お祝いのことばを述べた。
その会で、先生の周りには、すばらしい人脈が張り巡らされていることを知った。私などは、ただ遠くにいて、先生を眺めていたような関係であることも分かった。そして先生はそんな生徒さえも覚えている、本物の教師だったのだ。
残念ながら先生は、持ち前の正義感が強すぎたために教育委員会と対立し、定年になる前に自分から教師を辞めてしまった。ある時、先生は寂しそうに、「教師だったころは、どんな学校の門にも大胆に入っていけたが、教師を辞めると敷居が高くなった」と語っていた。そういうものかも知れない。組織化された社会では、はみ出し者は生きるのが難しいように思う。東先生がはみ出し者だと言っているのではない。先生の周りには多くの人たちが今も先生を慕って集まっている。しかしそんな東先生でさえ、組織から押し出されたさみしさを感じることがあるのだ。
キリスト教会だけはそうであってはならない。なぜなら天国の門は、信じるならだれにでも開かれ、ためらわずに入れるのだ。
東亮吉先生はその後、私が十六歳でクリスチャンになるまでの生い立ちを描いた『サバンナに愛の光 永遠に』と題する小説を出版された。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声(http://elim.jp/)」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。