朝祷会全国連合(会長・米田昭三郎)は、カトリックとプロテスタント両教会の教職、信徒らが協力する、世界に類の無い超教派運動を展開している。その約50年にわたる働きが高く評価され、4月29日、日本エキュメニカル協会から第11回エキュメニカル功労者顕彰を受賞した。超教派による祈祷と交わりを通した宣教協力を目指す同連合について、米田昭三郎会長に聞いた。
朝祷会全国連合は1957年1月、大阪クリスチャンセンターに集まった14人の信徒らの祈りから始まった。毎週月曜日の朝7時から8時まで、一週間のはじめの朝、ともに賛美し、御言葉に聞き、各々の職場や会社でキリストの良き証人になろうと互いに祈りあってきた。2005年3月14日、ついにその開催数は2500回を数えた。
出席者も数年を経ずして100名以上が毎週集うようになり、東京や名古屋、四国その他の地域から大阪まで大挙見学に訪れ、感化を受けた人々は自宅を解放し、或は、喫茶店やレストランを一定時間借り切ったり、教会会議室の提供を受けたりしながら、次から次へと朝祷会が誕生していった。現在までに登録されている朝祷会は、日本国内だけで199ヶ所(2006年4月15日現在)、ブラジルなど海外を加えると200ヶ所以上に及ぶ。
朝祷会は宣教協力にも大きく貢献している。一ヶ月間大阪フェスティバルホールを借り切ってのポップピアス博士による大伝道集会、大阪クリスチャン・クルセード、大阪万国博覧会キリスト教館の出展、ビリーグラハム国際大会、ケズィック・コンベンション、ルイス・パラウ宣教大会、府民イースター、府民クリスマス、その他多くの宣教、伝道大会で、朝祷会の積み重ねの祈りと祷友の献身的な奉仕が開催の要となった。
特に、キリスト降誕2000年の年、これを記念して各地で開催された宣教大会や信徒大会を、超教派での祈りと実務で支えたのが朝祷会であった。プロテスタントとカトリックが一致して取り組んだ地域も少なくなかった。
朝祷会は最初、信徒たちの集まりであったが、信徒たちがその地域住民の救霊のために祈り、各教会のリバイバルを祈ることから、教職者も次第に朝祷会へと参加するようになった。今では教職者らが神父・牧師会(教職者会)をつくり、地域の宣教を考えようと会合している。
ある地域の婦人牧師は、その地域で30年間開拓伝道し、教会堂を立てて牧会してきたが、地域の他教団、教派の教職者たちと挨拶も交わせず、同じキリスト者として淋しい思いをしていた。しかし、朝祷会を通じて様々な教会を訪問し、地域教会の教職者との交わりも自然に増えていったという。
また、ある朝祷会では、地域の諸教会が協力して、数年後には5万人規模の大伝道集会をしたいとの祈祷課題がカトリック・プロテスタントの教職者会から提案され、そのための祈りが続けられている。
朝祷会におけるカトリックとプロテスタント両教会の協力について米田会長は、カトリック教会を会場として始められたある朝祷会での出来事を振り返った。そこでの第1回目の朝祷会で、カトリックの神父が「罪を認めることの大切さ」と題して奨励し、「カトリックのあやまちと罪を告白し、神のゆるしの恵みを証しできることを心から感謝しています。カトリック教会が長年、プロテスタント教会を苦しめてきたことをお詫びします」と語り、集まったカトリック・プロテスタント両信徒らは、共にキリストにある和解と平和のために、心を一つにして祈った。
1965年、カトリック教会は「第2バチカン公会議」の「エキュメニズムに関する教令」で、「キリスト教が分裂してしまっている現状を直視しながら、それが明らかにキリストの意思に反するものであり、また世にとってはつまずきであり、すべての造られたものに福音を宣べるという最も聖なる使命にとって妨げとなっている」とキリスト教界の問題を指摘した。これを受けて、朝祷会でも「別れた兄弟にわびの祈りをしたい」というカトリックとプロテスタント信徒らの祈りの一致がさらに深まっていった。
米田会長は、「長年にわたりプロテスタントとカトリックによる宗教代理戦争が続いたアイルランドやその他の地域の紛争を考えると、日本における超教派朝祷会運動は、世界に類の無いもので、宗教対立を解く鍵といえるのでは」と同連合の働きの尊さを語った。