イエス・キリストが復活されて50日目に聖霊が降り、歴史的な意味で教会が誕生したことを記念する4日のペンテコステとその前日の2日間、「見よ、わたしはすぐに来る」(ヨハネ黙示録22:7)を標語に、第38回「再臨待望東京大会」が日本イエス・キリスト教団荻窪栄光教会(中島秀一牧師)で開催された。4回にわたって行われた集会では、リバイバル聖書神学校校長の有賀喜一牧師と、再臨待望同志会会長の相田望牧師(日本宣教会代田教会)が講演。3日午後6時半からの集会には、信徒らおよそ60人が集まった。再臨待望同志会主催。
3日の午後2時半から行われた第1回の集会では、主催の相田望会長が、新約聖書マタイによる福音書25章にある「10人のおとめ」のたとえを説いた。
10人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行った。そのうちの5人は愚かで、5人は賢かった。5人の愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。一方、賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。しかし、花婿が来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。
真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がしたので、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。しかし、愚かなおとめたちは、花婿が来る前の準備を怠っていたため、花婿が到着しても十分な用意ができなかった。用意のできていた5人は花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。用意ができずに遅れた5人は、そのあとでいくら主人に頼んでも、もうそこに入ることはできなかった。
相田師は、5人の賢いおとめが油をよく整えて花婿を迎えたように、主の再臨を望むものは、その日がいつ来てもいいように、主が見て喜ばれる信仰をいつでもよく準備するようにと会衆に訴えた。
続いて行われた第2回目の集会では、リバイバル聖書神学校校長の有賀喜一牧師が新約聖書ヨハネの黙示録1章を本文に、この歴史、世界、そして教会の主である、今も生きて働いておられるイエス・キリストを大胆に証しし、会衆に生きる希望と信仰の力を与えた。
聖書は歴史書である。旧、新約聖書66巻の中でも最初の書である創世記には、天地創造について書かれている。創世記1章には、神が人を創造された後、ご自分が造られたすべてのものをご覧になって「極めて良かった」(創世記1:31)と記録されている。
しかし、創世記3章で、神が創造した最初の人アダムが神の戒めを破ったことによって、罪が人類の中に入った。人は神から離れていき、サタン(悪魔)がこの世を支配するようになった。
人が自分から一方的に離れ、罪を犯してしまったにもかかわらず、神はそれでも人をこよなく愛された。神は今現在も、人類を完全な救いへと導かれている。旧約聖書創世記3章から新約聖書に至るまで、壮大なスケールで展開される救いの歴史が、この聖書には記録されている。有賀師は、神が導く全人類の救いの完成が、新約聖書の最後の書であるヨハネの黙示録にはっきりと約束されていることを説いた。
「恐れることはない」「人の考えや知恵では不可能な事も、神にはなんでもできない事はない。」有賀師は、黙示録を通して神がはっきりと示された人類の救いの約束を堅く信じ、現状だけを見て決して失望しないようにと信徒らを力づけた。
またイエス・キリストの復活は「不可能を可能にする力」であると説き、「キリストによって赦されない罪はない」「日本から数え切れない神の民があがなわれる」と、無から有を創られた神であり、人類のあがない主であるキリストに永遠の希望があることを伝えた。
最後に有賀師は、黙示録を記録した使徒ヨハネ自身に焦点を当て、彼が本当に主にへりくだった従順なしもべであり、自分に示されたすべての啓示を忠実に証しした偉大な証人であったことを説いた。「私たちが生きる理由は証しのため」「今イエスは目に見えない、しかしクリスチャンは目に見える」と語り、暗闇が支配するこの世の中に輝くまことの光として、栄光と権威に満ちた主を心の底から賛美する証し人になるようにと会衆に力強く訴えた。
講演者を通して語られる神の呼びかけに多くの信徒らが「アーメン」で応え、主を力強く証しする賛美で会場は満たされた。