信仰および神学には多様な色がある。北アフリカのアレキサンドリアで形成されたアレキサンドリア学派は、思索的、哲学的な神学を主張した。ローマに根づき、カルタゴで形成されたラテン学派は情熱的で排他的な神学を主張、エルサレムを中心としてシリアのアンテオキアで形成されたアンテオキア学派は伝統的、歴史的神学を主張した。今回は、ラテン学派のテルトゥリアヌスの神学の内容と特徴について注目する。
「アテネとエルサレムと何の関わりがあるだろうか。(What does Jerusalem have to do with Athens?)」
信仰と理性の関係については、様々な立場が二千年のキリスト教の歴史を通して現れたが、ラテン学派は両者の関係を「不連続的」で「相互排他的」な関係と見た。ラテン学派のテルトゥリアヌス(150-220)は、彼の著述の中で理性と哲学一般に関して否定的で排他的な立場を取った。
「哲学は異端に武具を提供している」「エルサレムとアテネとは何の関わりがあり、教会と大学とは何の関わりがあり、クリスチャンと異端とは何の関わりがあるだろうか」と主張し、哲学を批判した。テルトゥリアヌスはさらに、信仰を持った後に探求は必要ないと断言した。「イエス・キリスト以降は、思弁は要らず、福音の後に、探求は要らない」と主張した。キリスト教の絶対的で排他的な信仰を異教世界に向けて明確で力強く弁証するためであった。
テルトゥリアヌスは信仰の絶対性と排他性を次のように述べた。
「信仰の規範(Rule of Faith)つまり、父なる神、子なるイエス・キリスト、聖霊に対する一つの信仰についてはどのような質問も許されない。勿論、信仰の規則が妨害されない範囲での議論はできる。しかし、結論を言うと、誤って知るような危険が待ち伏せているので、むしろ「無知のままにいる」(remain ignorant)ことが良い。イエスは「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言われたのであって「あなたの知識があなたを救ったのです」と言われなかったからである」。また、次のようにも述べている。「聖書に関する議論は何事も成就せず、腹痛と頭痛をもたらすだけである(Arguments about Scriptures achieve nothing but a stomach-ache or a headache.)」。
結局、テルトゥリアヌスは「矛盾である故に信じる(I believe because it is absurd.)」と述べ、信仰の絶対性と矛盾的な性質を強調した。「神の子がお生まれになった。このようなことは恥ずべきことではないので、私は恥じない。神の子が死なれた。これは至って愚かな話なので、私は信じる。そして、その方は葬られた後、よみがえられた。これは不可能であるので、確実である。」
「世が喜ぶときに、我々はむしろ悲しもう。」
福音と文化の関係についても様々な立場が歴史を通して現れたが、ラテン学派は両者間の関係を否定的で敵対的な関係として見た。テルトゥリアヌスは世俗の文化一般について否定的で敵対的な立場を取った。テルトゥリアヌスはリチャード・ニーバが分類した通りに「反文化的立場(Christ against Culture)」の代弁者と言ってよいだろう。「テルトゥリアヌスは原罪が社会の中にまで染み込んでいると考えていたようだ」(リチャード・ニーバ著「キリストと文化」)。
したがって、クリスチャンは世俗の秩序から遠く離れ、世俗的な職業を遠ざけるべきだと教えた。サーカス、劇場、競技場などで公演されるゲームやショーに参加することを激しく非難した。また、彫刻、絵画、文学、数学、体育、占星術、恋愛、教育、政治、兵役などの世俗的な職業を一方的に断罪した。テルトゥリアヌスは富を悪と見なし、金を愛する者は天国に入れないと述べた。女性の化粧なども悪魔によって作られたものとして避難し、罪として断罪した。
テルトゥリアヌスの主張はやや極端に見える。これは、キリスト教がその思想と実生活において常に世俗化してしまう危険があるためであり、これを警戒するためであったと思われる。テルトゥリアヌスは世俗化と偶像礼拝を警戒しながら、次のように述べた。「クリスチャンらが偶像のところから教会に来る。敵の作業場から神の家に来る。偶像を作っていた手を神に向けて高く上げる。悪魔に捧げた手で主の御体を触る。偶像製造業者が聖職者の地位まで占める。これは嘆かわしいことであり、恥ずかしいことである」。
クリスチャンが異教的な祝典へ参加することも正しくないと述べた。
「そのような場合でも、神のしもべが、衣服や食べ物や儀式が違う異教的な祝祭に参加することができるだろうか。使徒が『喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい』と教えたのは兄弟達に関してそう言ったのであった。つまり信仰の兄弟と共に同じ心を持ちなさいと言ったのである。しかし、この場合、光は闇と友になれず、命は死と友になれない。むしろ聖書は『世が喜ぶときに、あなたがたは悲しみなさい』と述べている。私は、我々が世と共に喜べば、世と共に悲しむようになることを心配している。世が喜ぶときに、むしろ悲しもう。そうすることで、世が悲しむときに喜ぶようになるだろう。ラザロがアブラハムのふところで楽しむときに、金持ちは苦しみを受けた。今日の多くのクリスチャンは世が生きる通りに生きても問題ないと思うようになった。我々は異邦人と共に暮すことを許されたが、彼らと共に死ぬように許されてはいない。我々は彼らと共にこの世で暮しているが、彼らの過ちを共に分かち合うことはできない」。
テルトゥリアヌスの立場は極端に見えるかも知れないが、ウェストミンスター神学校のヴァン・ティル教授は、このテルトゥリアヌスを最も偉大な神学者として指名し、我々は彼に学ぶべきであると述べた。
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