カナダの神学校リージェントカレッジの初代学長で「霊性の神学」提唱者のジェームス・フーストン師が25日、東京・上野の森キリスト教会(重田稔仁牧師、台東区)の主日礼拝で説教した。教会の教職者や信徒ら100人以上を前に、「神の契約に応答する時、人は神の恵みと臨在の中にとどまり祝福される」と伝えた。
フーストン師は、「詩篇1篇1節がわからなければ詩篇のほかのすべての箇所も読み解くことができない」とし、この詩篇1篇が「天国への門」であると語った。
1節には、「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座につかなかった、その人。」とある。フーストン師は、人が人生の方向性を失ってしまうのは、「自分たちだけで生きている」と思い込むときであると指摘し、たとえ人にはどれだけ親切でフレンドリーであっても、「神を信じないなら、罪人である」と説いた。
詩篇は「神が愛であること」、「主が人をとても愛しておられること」を伝えている。世の中は多くの音楽で溢れている。音楽が人のこころを最もよく表現するものである。人はウォークマンで多くの曲を持ち歩き、自分のこころを音楽で満たそうとする。だがフーストン師は、詩篇こそ「読む人のこころを満たすもの」、人の「恐れ」「怒り」「ねたみ」「虚しい」などのこころを映し出す鏡であると語った。
フーストン師は、当日会場までのタクシーの中に荷物ごと自分のパスポートを忘れてしまったが、神に祈ると、不思議にもタクシーが無事に荷物を教会に預けてくれていたことを感謝の思いで語りながら、「私たちは馬鹿なこと、愚かなことをやるが、神は私たちの祈りを聞かれ面倒を見てくださる」と、神を信頼して歩むとき、その祈りに神は必ず応えて祝福を与えることを証しした。
同師夫妻は日本に2週間ほど滞在し、26日からは栃木県・日光オリーブの里でスピリチュアルライフ・セミナー「牧会者の霊的成長を目指して」、4月2日には東京・上野の森キリスト教会で公開講演会「心の井戸を掘るーポストモダンの行き着く先を見据えた牧会を目指して」、同日夜7時からは新刊「喜びの旅路」出版記念講演会に出席する予定だ。