米国で影響力のある福音主義キリスト者で米カリフォルニア州にグレース・コミュニティ教会牧師のジョン・マッカーサー氏は、エジプトでの反政府デモなど中東各国で自由を求めて広まっている反政府デモに対して「このような権力に抵抗するだけの活動は中東全域にさらなる不安定、混乱をもたらすだけだ。このような活動が広まることによる中東の将来は明るいものとなるとは思えない」との見解を米クリスチャンポスト紙に伝えた。
反政府デモは昨年12月にチュニジアで生じたデモを皮切りに北アフリカおよび中東各国で独裁者を退陣させる動きが広まるようになった。反政府デモ参加者たちはさらなる自由・民主主義・機会の均等を求めてデモを展開している。米政府はこれら各国の政府に対し、人権を尊重した政策を取るように助言を行ってきた。
マッカーサー牧師は、聖書的見地から、反政府デモに対して「神によって立てられた権威であるのならば上に立つ権威に従うべきである(ローマ書13章)という聖書の教えに反した動きである。長いキリスト教の歴史を有する米政府は、反政府デモに対する行いの過ちを指摘し、この様なデモを行うことは許しがたい行為であることを伝えるべきだった。私は何もムバラク氏が偉大で高徳な指導者であったと言っているわけではない。神は秩序正しく平和な生活を望んでおられる。上に立てられた権威である政府の定めた秩序には従うべきである。私がこの様に指摘するのは、無政府の状態に比べれば、どのような政府にしろ存在していた方がましであるからだ。反政府デモが行われている地域で死者や負傷者、盗難などが相次いで生じていることを見ればわかるだろう。反政府デモによって秩序がなくなり、より混とんとした状態となる。統治体制よりも無秩序と混とんとした状態の方が悪い状態となる」と述べた。
マッカーサー牧師は最近「キリストにあるあなたのアイデンティティにおける隠された真実」と題した本を出版しており、自由は大規模のデモの結果勝ち取られるものではないと主張している。マッカーサー牧師は聖書的視点に基づいて「反政府デモを行っている人々は、このデモに参加することによって自由を獲得できるという幻想を抱いている。しかし私はこれらの人々に『あなたは罪の奴隷となることもできれば、キリストの奴隷となることもできる』ことを理解していただきたいと思う。罪人は自由ではない。破滅の道を歩む選択をするという意味では自由であるが、それ以外の選択は何もできない。これは束縛の一形態だ。反政府デモを行っている人々は一つの束縛から別の束縛に移ろうとしているだけである。方向性を異にする人々が同じような不安を抱えながら、満たされることなく、腐敗し、罪の溢れた結末を迎えるにすぎない。それゆえ反政府デモを行うことは何の解決にもならない」と述べた。
米人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」によるとリビアで行われた反政府デモでは、治安当局により少なくとも233人が殺害されたという。マッカーサー牧師はこれら中東・北アフリカ諸国で行われている反政府デモでは、少数派のキリスト教徒がさらなる信仰の自由・発展を得られる可能性は低いと指摘する一方、信仰の自由がありながらも依然としてキリスト教徒の割合が少ない西欧諸国と日本を例に取り上げた。それとは対照的に中国では表現の自由が制限され、激しい信仰への迫害が指摘されているにもかかわらず、キリスト教徒の人口が急激に増大している。
マッカーサー牧師は「宗教の自由は教会の発展において重要な問題ではないと考える。民主主義、宗教の自由あるいは迫害-この中でどれか一つを受け入れなければならないとすれば、迫害を受け入れるべきだ。そうすれば教会はより純粋になるだろう。最終的には神の国は政府の影響なしに拡張するものである。『存在している権威はすべて神によって立てられたもの』である。神がこれらの権威を統制され、また退けられる。自由を望むことはこのような反政府デモを起こし、政府を転覆させ無秩序状態とすることを正当化するものではない。結局民主主義という形態が政府にとって最善の形態であると言われたのはどなたであったかという結論に行きつく。政府の形態がいかなるものであるにしろ、聖書では神による権威以外のものを唱道するようには教えていない。腐敗し、罪にまみれた人々と折り合いをつけていくために、あらゆる形態の政府も自滅の道に進まざるを得なくなってしまう」と警告した。