ルーマニアで1万人以上の孤児を助けたイリエ・コロアマ師が2月28日、東京バイブルチャーチ(福田誠牧師、東京都江戸川区)で聖会を開催した。約50人が集まり、同教会に通うチャーチ・スクールの子どもたちが元気いっぱいの賛美と祈りで同師を迎えた。コロアマ師は共産党政権による激しい迫害の中で現れた数々の主の奇跡を証しし、「大事なのは、神様の御こころに生きること」だと語った。
コロアマ師は幼い頃から使命を感じ、日本のために祈り続けてきた。これまでに33回以上来日しているという。講演は去年に引き続いて2回目となる。
コロアマ師は、74年にルーマニアからの亡命に成功。政権崩壊後は帰国、孤児院を設立し、国内外に大きな影響を与えた。現在も米国を往復し孤児院の活動を続けている。孤児院で預かる子どもたちの数は60人を超える。ルーマニアのラジオや国営放送のテレビなどにも出演し、ヨーロッパ6カ国で放送されている。ミニストリー「walk in the light」を設立。同師の10人の子どもたちはみな奉仕者となり、共にルーマニアの宣教に取り組んでいる。
コロアマ師の母親は伝統的なユダヤ人であった。同師が生まれる8年前に医者からがんと宣告された。しかし、神を信じる人々が母のために祈り、触ったとたん、母の身に癒しの奇跡が起こった。突如として病が癒され、それから母は主を大胆に証し始めた。8年後、その母から生まれてきた双子の1人が、イリエ・コロアマ師であった。
コロアマ師は、ルーマニアがチャウチェスク政権による共産党下におかれると、ロシアで投獄され終身刑の判決を言い渡された。もう終わりかと思ったそのとき、同師は祈りの中で「あなたは自由になる」との主の声を確かに聴いた。政府は当時、教会で祈ってもいいが異言で祈ってはいけない、預言と幻を見てはいけない、人を癒してはいけない、伝道するために旅行してはいけないなど、クリスチャンに対して強い圧力をかけていた。コロアマ師は、「共産党員が恐れていたのは麻薬や武力ではなく、聖書の力であった」と証した。
コロアマ師は74年にルーマニアを脱出。国境を越えるときには、「私の光に従いなさい」と幻の導きがあった。政府の弾圧によって、6人の子どもと、当時7人目の子どもを妊娠していた妻と離れ離れになったが、主の導きで1年10カ月を経てアメリカで無事再会できた。苦しみの中で、一歩ずつ神に従うことを心がけた。コロアマ師は、「大事なのは、神様の御心に生きることである」と語った。
チャチェスク政権が89年に終わると、コロアマ師はすぐに祖国ルーマニアへ戻り、孤児園の創設に取り掛かった。
コロアマ師は5カ月ほど前に大きな心臓の手術を経験した。長年、霊的な癒しに関わっていた同師は、「『イエス様が癒される、ただイエス様だけ』と最初は医者を頼りたくなかった」と自分の中に霊的な高慢さがあったことを告白した。手術前にあいさつへ来た医師は若い女性であった。初めは、自分の大手術をその医師にゆだねるのが怖かったという。しかし、神は人の外見を見ず、用いられたいものを用いられること、神は全ての人をその御心のために用いることをそこで悟ったという。神が必要な時に必要なものを用いられる大胆さ、生きておられる神様に対する信仰の大切さを説いた。
コロアマ師は集まった中学生や小学生の子どもたちに、「ああ、渇いている者はみな、水を求めて出て来い、金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。」(イザヤ書55章1節)の聖句を引用し、「今の人は自分のためにだけ生きて、日曜日だけ教会へ行く人もいます。神様の民が忙しくなり、祈りや聖書や教会の時間を奪われています。(聖書のことばを聞くのに)お金は必要ありません。全てをささげるなら、お金持ちになります」と聖書の教えを語った。
最後に同師は、特に病に苦しむ人々の癒しのため、またチャーチスクールに通う一人ひとりの子どもたちのために、近寄って子どもたちの手を取って祈りをささげた。
同師は今後、再びルーマニアで孤児院と聖書学校、5つの教会での奉仕を続ける。またルーマニアを拠点にし、1年のうち3カ月は米国で宣教する予定だ。