クリスチャンは、ご飯を食べる前に、ありがとうと感謝の祈りをささげていただく習慣を持っています。
でも熱心さの余り、食前の祈りが長すぎてスープが冷えてしまったり、あるいはレストランでの外食でも大声で祈る方と一緒だと、少し恥ずかしい気もします。
私たちには、「いただきます」という美しい食前の言葉があります。これは、「あなたの命をいただきます」という意味であり、すべての命への感謝の言葉です。
食後の「ごちそうさま」には、食事を準備してくれた人、食材を育ててくれた農家や酪農家、漁師の方々、それを運んでくれた運送業者の方々など、食べ物が口に入るまでの過程で、労してくださった多くの人々への感謝が含まれています。
そして、何よりもすべての生きとし生ける物に、水や空気、太陽の輝きや雨や風など、豊かな自然の恵みを与えて下さった、全知全能の創造者である神様に、「ごちそうさま」という前に、感謝の祈りをささげられることは大きな恵みであり、幸いです。
食前の祈りは長いと困りますが、「いただきます」だけでは神様に、また料理してくださった人にも申し訳ないと思います。
目の前に用意された食事をしっかり見つめ、祈りは短くても心を込め、主の祈りのように30秒くらいは感謝し、美しいことばで祈っておいしく食べたいものです。
心から感謝して祈りをささげるならば、まずいとかおいしくないとか、不平不満の言葉が出るのではなく、「おいしいですね」と自然に言葉が出て食卓の会話も弾みます。気持ちよく感謝していただくので、胃の消化にもよく、食べたものが栄養として効率よく体に吸収されていきます。
「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」(マタイ6:11)という祈りは、食事の度に真実の祈りとなります。それだけでなく、食事を取ることもできない人々にも食事が行き渡りますようにという祈りさえも、食事の度ごとに自然に祈られるようになってきます。ただガツガツと自分の食欲を満たすためだけではなく、ほんの少し食前の感謝に時間を使うだけで心豊かな食卓に変るのです。
そのような祈りで食事を始めるとき、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(マタイ4:4)を体験でき、食事の度に生かされていることを実感でき、感謝に満たされた一日となります。食事の度にありがとうございますと神様にすべてを感謝する貴重な時間が与えられているのです。
食べ物をお腹に満たす前に、少しだけでもゆとりをもって、30秒と時計を見る必要はありませんが、感謝の祈りをささげて見ましょう。
さっそく次ぎの食事から、心を込めて食前の感謝の祈りをささげ、今日もまた天国の一日を生きる恵みに感謝したいものです。
さらにまた、食後に「ありがとうございます。おいしかった。ごちそうさま! 感謝します。感謝します」と、思い切って口に出して感謝するならば、次の食卓がもっとすばらしくなること請け合いです。
「あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう」(出エジプト23:25)
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。