イスラム教の強いエジプトで、逆風に負けず、主イエスへの信仰を守るあるエジプト人女性を紹介したい。これは、オープンドアーズを通じて紹介された力強い証しだ(※登場する人物は、安全上の理由から仮名となる)。
エジプトのカイロの西端に、マンシヤト・ナセル地区がある。しかし、その場所は「ゴミの町」といううれしくない異名で知られている。この地域はゴミであふれており、多くの住民がゴミ収集人として働き、リサイクル可能なものを分別し、ロバが引くカートで運び出している。また、住民の多くはキリスト教徒でもある。
エジプトの多くの地域で「ゴミの町」という呼び名は、キリスト教徒の窮状を表す適切な比喩となっている。信者たちはしばしば社会の周縁に追いやられ、共同体の隅っこに押し込められ、誰も欲しがらない残飯を食べることしかできない。特にイスラム教からの改宗者にとっては、エジプトは危険な場所になり得る。イスラム教徒でありながらイエスを見いだした人々は、文字通り「ゴミ」と見なされるのだ。
しかし、これらの信者たちには私たちが学ぶべきことがたくさんある。サラのようなキリスト教徒は、主イエスを信じる信仰のために多くの苦難に耐え、多くを失ってきた。しかし彼女は、「神様は常に私のそばにいてくださいます」と確信に満ちて言う。だが、彼女はずっとそう確信していたわけではない。これは、彼女が主イエスにあってどのように変えられたのかを語る物語だ。
サラは8歳の時に両親が亡くなったため、カイロ北部の貧しい地域に住む、過激なムスリムの祖母のもとで暮らすことを余儀なくされた。「私は伝統的な教育を受けて育てられました」とサラは言う。「祖母は蓄えもなく、経済状況は決して楽ではありませんでした。私は貧しく困難な環境で育ち、14歳で学校を辞めて働き始めたのです」
自分自身と家族を養うため、サラは国立病院の清掃員として働き始めた。エジプトの多くの若いムスリム女性がそうであるように、サラも若くして結婚した。20歳の彼女は、ラシドという男性と結婚した。この結婚が彼女の人生に大きな苦痛をもたらそうとは、この時の彼女は知る由もなかった。
ラシドは激しい気性の持ち主で、肉体的にも精神的にも彼女を虐待したのである。2人の息子ができると、虐待は子どもにも及んだ。「神様が2人の子どもを授けてくださいました。この子たちは当時の私の人生で唯一の光だったのです。しかし私は、この子たちを父親の暴力から守ることができなかったのです。それは私にとって、この上なくつらいことでした」
妻へのこのような扱いは、決してラシドだけが特異だったというわけではなかった。一部の過激なイスラム教徒の間で、女性はひどく蔑視されているのだ。彼女たちに期待される唯一の役割は、結婚し、子どもを産み、夫に仕え、家族の世話をすることだけだ。
「ラシドとは、まともに話すことすらできませんでした。なぜなら、イスラム教徒の女性は異議を唱えたり、意見を述べたりすることは許されず、黙って命令に従うものだというのが彼の唯一絶対の信念だったのです。それ以外の考えは認められません」とサラは説明した。彼女のような状況では、女性たちは平等な権利を持たず、虐待に直面しても常に自分の意見を言うことができなかったのである。
サラの日々は、終わりのない苦悩の連続となった。「私は絶望に陥りました」と彼女は苦々しく語った。「周りの世界は暗く悲しいものでした。家での生活は悪夢で、涙が止まりませんでした」。毎日、彼女は涙を流しながら仕事に行き、深い挫折感を味わっていた。しかし最も暗い人生の谷間で、サラは希望の光を見いだしたのだ。
職場の友人の一人にリディアというキリスト教徒の女性がいた。リディアもその地区の多くの女性たち同様、経済的な問題や他の多くの困難を抱えていた。ところが、このリディアには異なる種類の幸せがあり、彼女はそれを放っているように見えた。サラの目には、彼女の心がいつも平安で満たされているように映っていた。この友人の親切さと友情は、サラの人生に大きな影響を与えようとしていたのである。(続く)
■ エジプトの宗教人口
イスラム 86・7%
コプト教会 11・6%
プロテスタント 0・9%
カトリック 0・4%
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