「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり・・・」(ヨハネ15:16)
ポーランドの監獄に収監されているダレクにとって、この聖句ほど重要な意味を持つ聖句はない。ダレクの物語はこのように始まった。
「俺が6歳だった時のことをよく覚えているよ。当時、俺たちはピラ近郊の小さな村に住んでいた。おやじとおふくろは農場に働きに出ていた。それで同居していたジョラおばさんが、幼い俺の面倒を見てくれたんだ。夕方になって静かになると、俺はおばの部屋をよく訪ねたもんさ。ジョラおばさんは聖書をよく読んでいた。俺はおばさんにこう尋ねたんだ。『ジョラおばさん、聖書ってそんなふうに読むんだね。それって、いつになったら最後まで読み終わるんだい?』おばさんは俺を見て言ったよ。『坊や、この書物はね、読み終わってこれでおしまいということはないんだよ』『この書物は毎日の生活で生きて働くのさ。だからね、この書物は一生読み続けるんだよ。分かったかい?』」
この言葉はダレクを励ました。おばがまずダレクに読み聞かせを始めた。するとダレクは、徐々に自分一人で聖書を読むようになり、やがて習慣的に自分で読み続けたのだ。それが2年続いたが、大都市ビドゴシツに引っ越すと、おばは一緒に行かなかったので、ダレクは次第に聖書を読まなくなってしまった。後の日になってこの慰めの言葉が必要になることを、この時には知る由もなかった。
ある日ダレクの母親が亡くなると、彼はその死から2年間もふさぎ込んでしまった。ダレクの父も立ち上がることができなくなってしまった。ほどなく彼らの家計は破綻し、ダレクは神の教えをすっかり忘れて、犯罪に手を染めるようになった。
彼は最初、この奔放な生活がとても気に入っていた。金、高価な服、バイク、女・・・何でも欲しいものは手に入れ、不足は何もないかのように思えた。ところが、そんな生活にふけっていたある日、ダレクは一人の女性を真剣に愛するようになった。
ダレクは当時をこのように振り返る。「俺は世界一幸せな男だと思っていたよ。彼女が子どもを身ごもっていることが分かった。とても幸せだった。神に感謝し、子どもが健康に生まれてくるように祈った。やり直したくて、建設現場でまっとうな仕事に就いたんだ。最初の給料はかなり少なかった。以前なら一晩で稼ぐことのできるはした金だったが、汗を流して働いて得た金に俺は満足していた。だから腹をくくって歯を食いしばって働き続けたよ」
しかし、神と神の御言葉のない生活は、やがて彼をむしばんでいった。赤ちゃんが生まれる前のある日、彼らのアパートのドアを激しくノックする音が響いた。それは警察だった。
警察はダレクを逮捕し、1年3カ月の実刑判決が下された。刑務所に収監された2週間後、彼のガールフレンドと幼い娘が面会に来てくれた。「生まれたばかりの娘は天使のようだった」とダレクは言う。しかしダレクはその時、この初めての面会が、2人との最後の思い出になるとは想像もしなかった。その後何年も、彼女たちは面会に訪れなかったのだ。
ダレクは出所すると、娘恋しさに、すぐに彼女のアパートに向かった。ところが彼女と娘は、すでに英国へたっていて、そこにはいなかったのだ。電話番号も住所も分からず、フェイスブックもなかった。ぽっかりと心に穴の空いてしまったダレクの生活は荒れ、神なし、聖書なし、神の教えなしで月日が流れ、数年が過ぎていった・・・。
そして彼は別の女性と出会い、恋に落ち、会社を立ち上げた。残念ながらダレクは心を入れ替えることなく、間違った方向に進み続けていた。「悪知恵だけはめっぽう回る俺は、幾つかの取引でローンを強要したのさ。この事件は裁判になり有罪になった。俺はまた刑務所送りになったというわけさ。それで彼女は去り、短い恋は終わってしまったんだ」
そしてこの時に収監された刑務所で、ダレクはもう一度聖書を読むようになった。それは今までとは全く違っていた。そこで彼は、昔犯した幾つかの刑に服しているアダムに出会った。彼はボーンアゲインのキリスト教徒だったのだ。本当に悔い改めて祈り、神との関係を築くとはどういうことか、彼はこのアダムから学んだ。
「俺はアダムが大きな声で祈る姿を注意深く見ていた。ある朝俺たちが起きると、アダムは手を差し伸べて、俺を兄弟のように抱きしめて言ったんだ。『心配しなくていい。万事うまくいくさ』とね。刑務所のような場所で、あんなやつに出会ったのは初めてだった」とダレクは振り返る。その後、彼は他の刑務所に移されたが、アダムのように祈り、聖書を読み、他の信者との交わりを求めた。
「こうして俺は、獄中伝道をしている伝道者であるもう一人のダレクと出会い、文通を始めたんだ。俺たちは、面白いことに同じ『ダレク』という名前だったんだ。手紙の中で、ダレクは俺に神の御言葉を学ぶように励ましてくれた。ヨハネ福音書の手引きを送ってくれたんだ。俺はかつてないほどこの福音書について知り、考え、思いを巡らし、この福音書の疑問に対する答えを探し始めた。それは画期的なことで、新しい世界への驚くべき旅だったよ。今まで見たことのなかったものが見え始め、さらに重要なことも理解し始めたんだ」
伝道者のダレクも、獄中のダレクと定期的な面会を始め、神の御言葉を通して一歩一歩、彼を導いていった。「面会をするたびに、互いに話し合うたびに、俺はより神に近づき、神の御言葉への信仰が生まれたんだ。面会中は、自分が刑務所にいることを忘れるほどだった」とダレクは感慨深げに振り返る。
神は驚くべき方法でダレクの道を真っすぐにし始めた。収監中にダレクの持病が悪化して、難しい背中の手術が予定されていたのだが、もはやその必要がないことが判明した。「あなたは全く健康ですよ」。手術の前夜に行われた検査結果を見て、医師たちはそう総括した。
仮釈放が許されると、彼はある教会を訪れた。引越しで別れてから20年たっていたが、彼はジョラおばさんをこの教会の信者の交わりの中で見つけた。
そしてさらには、英国に行ってしまった生き別れのガールフレンドとフェイスブックで再会し、刑務所の面会で一度しか会ったことのない娘と初めて話すことができたのだ。生ける神は、罪によって破壊し尽くされた人生を真っすぐにすることがおできになるのだ!
ダレクは今、刑期が終了する残りの数カ月を待っている。「数年前の俺は、刑務所の中で遊ぶために、テレビとかゲーム機を送ってくれるように頼んでいた。だが今の俺は何の設備もない房に座っている。唯一足りないものは、神の言葉を長く読むための明かりだけだ。主イエスよ、あなたの救いと御言葉に感謝します。また、神が俺を見つけて救うために用いた全ての人に感謝したい。小さい頃、俺の最初の一歩を踏み出させてくれたジョラおばさん、俺にとって特別な存在となったアダム、聖書やガイドブックとの出会いの中で、キリストの弟子であることの意味を教えてくれたダレク、そしてそれを可能にしてくれた他の全ての人たち」
身から出たさびによって道を踏み外してしまったダレクだが、神の恵みと選びの御手は、彼の放蕩(ほうとう)よりもさらに強く働き、彼をつかんで決して離さなかった。
あの罪深く不信仰な道を歩んだ彼だからこそ、なお深く神の愛と憐(あわ)れみの深さを知ったのだ。「多く赦(ゆる)された者は、多く愛する」(ルカ7:47)と言われた主イエスの言葉は、まさにダレクの上にそのまま成就した。
刑務所伝道は、まさにそのような神の無限の愛と恵みを表す器々の原石の宝庫といえよう。「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれた」(ローマ5:20)とある通りだ。ポーランドおよび世界中の刑務所伝道のために祈っていただきたい。
■ ポーランドの宗教人口
カトリック 85・7%
プロテスタント 0・6%
正教会関係 1・5%
無神論者 10・1%
ユダヤ教 0・01%
イスラム 0・1%
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