少し前まで、あんなに心が燃えていて、神様を近くに感じていたのに、朝になるとため息が出て、心が否定的になり、神様を遠くに感じるということはないでしょうか。
出エジプトしたイスラエルの民は、日ごとにマナを拾い集めて、それを食べました。同じように、私たちは日ごとに聖書を開き「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」といわれる聖書の言葉を食べたいものです。
なるほど、パンとは食事を総称していっていますが、食事さえしていれば体の命は保たれます。しかし、聖書の言葉を食べないと、霊の命は衰退し、やがて死んでしまったかのように力を失ってしまいます。
人間は、霊・魂・体の3つの領域から成り立っています。
霊は、神と交わる領域です。
魂は、知識・感情・意思の領域です。
体は、霊と魂を入れる器です。
器だけが生きていても、そこに入れる命がなければ意味がありません。
伝統的な教会の中には、形骸化し、力を失っていった教会があります。建物は立派で、伝統や組織は形として残ってはいても、神によって与えられる命の実態がなくなってしまったのです。
しかし、それに気付くこともなく、人が去った教会堂を見ながら人々や社会の不信仰を嘆くだけでは解決になりません。命を回復させなくてはいけません。
そうでないと、教会堂を売り渡さなくてはいけなくなってしまいます。ある名だたる教会は、イスラム教や他の宗教に教会堂を売り渡してしまったそうです。
あなた自身も、おいしいものをたくさん食べて、運動をして体が頑丈で、全身ケアをして美容に心がけていたとしても、霊と魂がしっかりしていなかったとしたら空っぽの器に過ぎません。
あなたは、神の命を宿す器なのです。神の命があるならば、自然に心が強くなり、前向きになり、肯定的になり、楽観的な生き方ができるようになるのです。
使徒パウロは「聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように」(2コリント13:13)と語りました。その前にある「主イエス・キリストの恵み、神の愛」(同)とともに、聖霊との交わりを持ちましょう。
それは、神の言葉を食べるところから始まります。
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