復活のイエス様と出会い、聖霊に満たされる前のペテロは、自分の思いが先行してしまう人でした。イエス様から「サタンよ、退け!」と叱られたときのペテロは、イエス様をそっちのけにしていました。
使徒パウロも、かつては自分の思いと正義感が先行していた人でした。しかし、キリストと共に十字架にかけられて死んだことを自覚し、主と共に働く人へと変えられました。
クリスチャンの人生において大切なのは、自分の思いや正義感が先行することではなく、その自分に死んで、イエス様と共に生きて、働くことです。
べタニヤのマリヤがイエス様から褒められたのは、ただじっと座って何もしなかったからではありません。やるべきことがあれば、それをやるべきです。マリヤが褒められたのは、自分の思いを横に置いて、まずイエス様の足元に座り、その声に耳を傾けたからです。
姉のマルタは、イエス様よりも自分の思いが先行し、その御声を聴くことができていませんでした。私たちが大切にすべきことは、まずイエス様の声を聴くこと、そして、イエス様と共に生きることです。
仮に良いことをしても、イエス様そっちのけで孤軍奮闘では的外れであり、自己中心という罪なのです。罪とは、神から離れた状態を指すからです。
今日、全てのことをイエス様と共に行い、全ての時間をイエス様と共に過ごし、絶えず祈りながら生きていきましょう。
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