世界的な宣教団体OM(オペレーション・モビライゼーション)の創立者であるジョージ・バウワー氏が、がんとの短い闘病生活の末、14日、天に召された。OMの世界的な影響は大きく、134カ国からの3300人が147カ国で働き、12万5千人以上がOMのアウトリーチに参加したと推定されている。
これだけの規模の宣教団体だ。多くの者が、この団体には初めから大きな足跡を残すための影響力、リソース、スタッフがあったと思うかもしれない。
ところが実際はそうではない。このミニストリーは、一人の男の深い情熱と、使命への一貫した献身という謙虚なところから始まったのだ。しかし、それが一世代のうちに世界大に影響を及ぼすミニストリーに成長したのである。
米国東部のニュージャージー州で育ったバウワーは1955年、16歳の時、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催されたビリー・グラハム・クルセードにいた。バウワーはその夜、グラハムの説教の招きに応じて主イエスに従う決心をした。その後、彼はムーディー聖書学院に入学し、そこで妻のドレーナに出会う。
世界的に福音が必要とされているという実態や統計を読んだり耳にしたりすることは、彼にとっては単なる情報ではなく、呼びかけだった。
バウワーは、最初からOMのような組織を作るというビジョンを持って始めたわけではなく、ただ福音の必要性のある場所にそれを届けようとしたに過ぎない。
バウワーは、1950年代後半のメキシコでは10人のうち7人しか聖書にアクセスできないことを知った。そう、これは彼にとって単なる情報ではなく、呼びかけだったのだ。
彼は、当時の友人であったデール・ロットンに相談し、彼をこの活動に引き入れた。1957年、彼らはトラクトとスペイン語のヨハネ福音書1万冊を積んで、1949年製のダッジパネルバンをメキシコに走らせた。60年の新婚旅行もバウワーはメキシコに行き、その後何年もメキシコに通い続けた。
同年、バウワーと彼の小さなチームは欧州に目を向け、63年にはインドと中東にも活動を広げ、70年には新たに「オペレーション・モビライゼーション(OM)」と名付けたミニストリーのもと、最初の船を購入した。
バウワーのリーダーシップのもと、OMは「若者の短期伝道」という選択肢とその可能性を広げた。
バウワーは、何年もかけて宣教師としての訓練を受けるという伝統を破り、短期宣教旅行によって何千人もの奉仕者を宣教師として動員する道を拓いた。もちろん、これが常にうまくいくわけではないが、世界中の宣教活動の転換を促し、短期ミッションに参加した人たちの人生に深い影響を与えたのは間違いないことだ。
2003年にOMのリーダーを退いた後も、彼は世界中を旅し、新しい世代にインスピレーションを与えながらミニストリーの活動を続けてきた。彼はいつも、彼を印象づける地球儀のジャケット(世界地図がプリントされている)を着て、膨らませた地球儀を持ち、自分の使命と情熱を視覚的に表現していた。
バウワーは、今年の2月にがんと診断されたとき、「天国を本当に楽しみにしています。だから、完全な癒やしを祈らなくてもいいです。毎日続く、この荒野の旅への恵みを祈ってください」と要請していた。
ジョージ・バウワーの名は、世界を変えるためにその世代を鼓舞した神の僕たちの長いリストに加えられよう。
彼は福音宣教に対する自分の心と情熱に従い、タイミングや状況によってそれが制限されることを拒否した。1956年、デール・ロットンとの最初の会話で、バウワーの積極的な態度を示す素晴らしいエピソードがある。メキシコでの霊的必要と聖書配布への情熱を説明した後、彼らは祈った。祈りを終え、口を開いたバウワーの最初の言葉は、「さて、行く準備はできたかい」だった。
イザヤを召したときと同じように、主は今の時代の聖徒たちにも呼びかけておられる。
「私は主が言われる声を聞いた。『だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか』」
そして、バウワーがそうであったように、「ここに私がおります。私を遣わしてください」と答える今の時代のイザヤを、主は探しておられるのではないだろうか。
私たちは、一人の人間の信仰と情熱が世界を動かすことがあるのだ、ということを覚えたい。第2、第3のバウワーのようなパイオニアが起こされ、世界宣教が達成されるよう祈っていただきたい。