金メダルこそ授与されなかったが、『織匠』は国内で高く評価され、ケーテ・コルヴィッツは版画家として広く知られるようになった。あのレエアタア駅近くの美術展の審査委員会は引き続き出展を求めてきた。
1899年、ケーテは求めに応じて2点を出展することにした。一つは、以前ヘルマン・ザンドクールの個展に出した木版画『グレッチェン』を石版画にしたもの。もう一つは、木版画の『一揆』だった。
この美術展も成功で、彼女は多くの人から激励を受けた。この美術展に、あの社会運動家リープクネヒトがあいさつに来た。そして、彼はケーテに彼としては珍しく弱音を吐いた。
「もう刀折れ、矢尽きたというところですよ。最下層の人々や、惨めな生活をしている労働者たちに自覚を与え、立ち上がらせるために運動を続けてきたのですが、彼らはいざというときにはおじけづき、権力を恐れて尻込みしてしまうのです。もうなすすべはありません」
「彼らの気持ち、痛いほど分かります」。ケーテは言った。「追い詰められた者は冒険する勇気などないのです。なぜって、彼らは家族を守らなくてはならないのですから」
「あなたの言う通りです。もう一度デモンストレーションの方法を考えてみます。あなたの『一揆』を見て、少しは勇気が湧いてきました。ありがとう」。そして、彼は帰っていった。
ケーテは『一揆』の構想をもう少し変えてみようと思った。もしかしたら、その作品が労働者たちを団結させる発火点になるかもしれないと考えた。だが、新しい発想はどこからも湧いてこなかった。
(ああ、私は何と無力な女でしょう。診療所に戻れば3人の子どもの母。家事と育児に忙殺され、制作する時間も皆が寝静まった真夜中の時間しかないんですもの)――と、その時である。ふいに祖父ユリウス・ルップの声が響いてきた。(人生で一番大切なことは、イエス様が教えられたように、最も小さな兄弟の一人に親切にしてあげることだよ)
その時、変化が起きた。一揆の画面の中に炎が見え始め、それはだんだん強くキャンバスに広がった。そして、彼女の脳裏に昔読んだ16世紀の歴史的事件の物語がひらめいた。
農民戦争! そうだ。農民戦争という歴史的逸話だった。
16世紀のドイツ農民は、その土地の領主によってまるで奴隷のように扱われていた。家中の者が早朝から夕方暗くなるまで野良に出て耕作し、秋になって収穫を迎えても年貢としてその大半を領主によって没収され、家に残ったわずかな穀類では1年間の家族の生活をとても支え切れなかった。
借りた金は利子によって膨れ上がり、働けど働けどどん底生活に落ちていった。そして家族は飢餓のために病気になったり死んだりした。そうした動物以下の扱いに耐えかねて、農民たちはついに団結して残虐な領主に対して一揆を起こす。その都度過酷な方法で弾圧を被り、待っていたのは逮捕と処刑だった。
しかし、彼らは勝利した。大きな犠牲を払ったが、やがて彼らはその地位の向上と権利の拡大を自分のものとすることができたのだった。
その年、1903年。『農民戦争』の最初の絵が完成した。題は『一揆』ではなく、『蜂起』とした。
ちょうどこの頃、「フォアヴェルツ紙」の記者として油の乗り切っていた兄コンラードが彼女に、「シンプリチスムス」という雑誌を紹介した。「この編集部の人がおまえの大ファンでね。どうしても挿絵を描いてほしいそうだ」
そこでケーテは、いつかミルクの瓶を持って追いかけたあの妊婦を描いた『働く妊婦』と『死んだ子どもを抱く女』の挿絵2枚を「シンプリチスムス誌」の編集部に送った。
1908年。ついに連作版画『農民戦争』が完成した。それは、<たがやすもの><はずかしめられたもの><刃をとぐもの><地下室の武装した民衆><蜂起><戦場><捕らえられたもの>という7枚続きの劇的場面を描いたものだった。
この版画は、暗くうっくつした社会に光を投げかけた。見る者は、無力な者たちの闘いが、その悲惨な結末にもかかわらず敗北を乗り越えて勝利を勝ち取ることができるのだという確信を与えられたからである。
そして、この作品はリープクネヒトらが予感したように、まさに労働者や貧困にあえぐ者、抑圧された農民たちの覚醒と団結を生み出す発火点となったのだった。
この功労により、ケーテはマックス・クリンガーによって創設された「ヴィラ・ロマーナ賞」を受賞した。
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<あとがき>
『織匠』で版画家として認められたケーテは、引き続きレエアタア駅近くの美術館から出展を求められ、『グレッチェン』の石版画と、新しく『一揆』の木版画を出展しました。その会場に、社会運動家のリープクネヒトがあいさつに来て、珍しく弱音を吐きます。最下層の人々を目覚めさせ、自立させようと運動を続けてきたが、いざというときに彼らはおじけづき、権力者に盲従してしまう――というのです。
ケーテは自分が制作した『一揆』にもう少し手を加えたら、その作品が労働者たちに力を与え、覚醒させることができるのではないかと考えますが、今一つ強いメッセージを発信できずにいました。そんな時、あの亡き祖父ユリウス・ルップの言葉が心に響いてきたのです。「人生で一番大切なことは、イエス様が教えられたように、最も小さな兄弟の一人に親切にしてあげることだよ」と。
やがてケーテは16世紀の歴史的実話からヒントを得、連作版画『農民戦争』を完成させたのでした。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)刊行。また、猫のファンタジーを書き始め、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。20年『ジーザス ラブズ ミー 日本を愛したJ・ヘボンの生涯』(一粒社)刊行。現在もキリスト教書、伝記、ファンタジーの分野で執筆を続けている。