「ずいぶん物好きがいるもんだな」。夫は新聞をめくりながら、つぶやきました。
「自分の娘のことを、よくそんな言い方ができるわね」。ミチコは大根を切る手を止めて、むきになって言いました。千切りにした大根をマヨネーズで和えながら、2階の娘の部屋に思いをはせるミチコは、今日も寝不足です。何ということでしょう、娘の婚約式が迫っているのです。それはミチコがずっと、祈っていたことでした。心の病に侵されて、人並みの幸せ一つ知らない娘のために、夜ごとに叫ぶように祈っていた祈りがまさに今、聞かれようとしていました。
「神様は本当におられて、生きて働いておられた」そう、喜びました。
今日は、教会で行われる婚約式で着る礼服を、娘と選びに行く約束をしています。それなのに、娘はまだ2階の自室から、なかなか降りてきません。ミチコはそわそわとして、「ご飯もすっかり冷えちゃったじゃない」。お盆に用意した朝食を見つめてため息をつきました。
お昼も近くなった頃、ようやく娘は起きてきました。面白くなさそうに食卓に着き、まずそうにご飯を口に運ぶ娘から、ミチコは目が離せずにおりました。娘は娘で、ミチコが自分のことのように興奮していることに、いら立っていたのです。そんなに心配されるとまるで、自分が一人前と見なされていないように思えました。
ミチコは一抹の寂しさを感じていました。今まで、娘に寄り添い、助けることがミチコの生活の一部でした。しかしこれからは、夫となる人がその役割を担うというのです。それはうれしくもあり、心配でもあり、また自分の一部がはぎ取られてゆくような寂しさを感じました。
今日は立派な礼服と真珠の飾り、靴やバック、ハンカチもそろえてやりました。娘は幼い頃から病を抱えていたために、成人式も祝ってやることができませんでした。ですから、お財布が悲鳴を上げたって、何でもしてやりたかったのです。「親らしいことの何一つ、してやれなかった」。ミチコはそう悔いてきました。しかしそんなミチコは、憐(あわ)れなほどに子のために身をやつしてきた母でもありました。
自分が食べることよりも、娘が食べているか見つめてきました。自分の苦労を数えるより、娘の苦労を数えては、胸を痛めてきました。自分のからだが疲れていても、娘のからだが痛んでないか、心配ばかりしてきました。娘も娘なりに、母を案じて生きてきました。‘私がお嫁に行かれれば、母は母の人生を取り戻すことができるのではないだろうか’ そう思って、結婚を願ってきたのです。
そんな母は娘にとって、悲しいほどに私たちを愛された、イエス様の面影を宿していました。私たちのために最後の血の一滴まで残さずに与えてくださり、十字架で死に葬られて、よみがえられ、天に昇られてもなお、私たちにそのすべてを与えようと今も働いておられるお方の面影を…。
白髪が目立ち、痩せた母の髪を娘は撫でました。「ぼさぼさだよ」。母は恥ずかしそうに笑って、「お式にはちゃんとするから」と言いました。
「十字架の言葉は、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。…知恵のある者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。神はこの世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。…神の知恵により、この世は自分の知恵によって神を知ることがありませんでした。それゆえ神は、宣教の言葉の愚かさを通して、信じる者を救うことにされたのです」(1コリント1:18~21)
娘はこの御言葉が好きでした。愛とは、決して人前に見栄え良くはありません。時に「自分はああはなりたくない」と思わせるほどに、愚かで悲しく、みじめに映るものでしょう。しかし神様が、ご自身を現す手段としてこの ‘愛’ の姿を取られたのです。それはとても愚かしく、あまりに悲しく、それ故に心動かす、神様のご愛そのもののようでありました。
母のつぶらな瞳の周りに縁どられた幾重ものしわは、娘を見続けてきたまなざしの分だけ刻まれたように思えました。ばからしいほどに自分を見つめるこの母のまなざしを通して、イエス様の愛を知るようでした。
娘は、病を持ったとき、親のせいだと思いました。親の不完全さばかりを上げ連ねて、自分の不幸のすべてを親のせいにしたこともありました。その頃、娘は言い続けました。「親は私を愛さなかった」
神様に対しても同じでした。自分の苦境を想っては、「神がいるとしたら、なんて残酷なものなんだろう。その神は、私を罰することはしても、愛するなんていうことはないだろう」そう思い続けてきたのです。愛に対して背を向け続け、孤独と不信の中に留まっては、心の闇を深めました。
しかし、イエス様の愛を知るごとに、母のミチコも父親も、できる限りに娘を想ってきた姿を見いだせるようになったのでした。イエス様という完全な愛が娘の心に入ってから、世界は全く違った姿で娘の前に現れ出したのです。
「主のもとへ届けるその日まで、あなた方を守ってゆきましょう」。ダニエルは、この母子を見つめていました。そしてその胸の中で慈しむように、抱いていました。
ミチコは小さな自室で祈りをささげておりました。今日も娘のことばかりです。神様を知るまで、ミチコも暗闇の中を歩いていました。どれだけ願いがあろうと、それをどこに持ってゆけばいいか分からずに、神社に足を運んだことも、すがるような気持ちで占い師のもとを訪ねたこともありました。しかし、真実の神様をようやく見いだすことができた今、どんな願いも、祈りも、心のうめきも、その方のもとに持ってゆけばいいのです。それは本当に幸いなことでした。
睡魔でまぶたが落ちてくるまで、ミチコは祈り続けました。いつか娘の病気が重かった頃に言っていたことが思い返されました。娘は、起こるすべての事柄、目に映る雲の流れすら、神様からのメッセージだと言っていたのです。そして風の中に天使様がすんでいて、その息吹が聞こえると。そういえば、聖書にはみ使いたちが聖徒たちを守っているとか書いてあった気がします。なぜそんなことを想い出したのかというと、なんだか感じられる気がしたのです。娘の言っていたように、天使様がこの世界にたくさん働いておられるさまを。
イエス様は偉大なお方です。この地においては枕する所もなく働かれ、十字架につけられたときも、衣服のほかに盗られるものもありませんでした。しかし、天においては万軍の軍勢を率いておられる方なのです。
不思議です。まぶたが落ちると、見えるような気がするのです。イエス様にひざまずき、仕える万軍のみ使いたちが…。
ダニエルは疲れ果てたミチコのまぶたをそっとおろしました。明日の労苦に備えて十分に休むようにと深い眠りにいざないました。
婚約式の朝がやってきました。ミチコは花屋の開店と同時に、頼んでいた花束を受け取りに行きました。白と淡い桃色の、娘の好きな色で作ってもらった花束です。
大きなその花束の生けられた教会で、娘たちの婚約式は始まろうとしています。ふと顔を上げると、そこではみ使いたちが祝福の歌を歌っているのが聞こえるような気がするのです。
数え上げれば、不安が頭をもたげます。病気の娘に主婦の仕事ができるのか、人が苦手な娘が、夫婦関係を築けるのか…。そんな思いを振り払うように、ミチコは首を振りました。「大丈夫、神様がいるんだから」。ちょっと強がってそう口に出しました。
牧師婦人の奏楽が始まりました。一同は黙して、祈りの姿勢を取りました。オルガンの調べと共に、祈りが空に昇ります。祈りはみ使いたちの歌となって、神様に届けられてゆくようでした。
「早く私から解放されて、自分の人生を生きてほしい」そう願っている娘ですが、きっとそうはいかないでしょう。自分が食べることよりも、娘が満足に食べているか、自分の体が老いて病んでも、娘は丈夫にやっているか心配しては、時におせっかいとなじられて。そんな母は、愚かで、みじめで、滑稽なほど私たちを愛する、イエス様と少しだけ似たものであるのですから…。
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さとうりょうこ
1978年生まれ。埼玉県在住。2013年、日本ホーリネス教団久喜キリスト教会において信仰を持つ。2018年4月1日イースターに、加須市の東埼玉バプテスト教会において、木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。結婚を機に、我孫子バプテスト教会に転籍し、夫と猫と3人で暮らしながら教会生活にいそしむ。フェイスブックページ「さとうりょうこ 祈りの部屋」。