ジャーナリスト、ノンフィクション作家として活躍した立花隆(たちばな・たかし、本名・橘隆志=たちばな・たかし)さんが4月30日、急性冠症候群のため入院先の病院で亡くなっていたことが分かった。80歳だった。NHKや毎日新聞が23日、報じた。両親が無教会のクリスチャンとして知られていた。
1940年、長崎市生まれ。両親ともクリスチャンの家庭で育った。自著『「戦争」を語る』によると、父親は学生時代に洗礼を受け、長崎にあるメソジスト系のミッションスクール「活水女学院」の教師となった。母親も結婚後に同学院のチャペルで洗礼を受けている。その後、両親は同学院の別の教師の影響などから、内村鑑三が提唱した無教会主義になった。
朝日新聞のインタビュー記事「わたしの半生」では、次のように語っている。
クリスチャンの家庭に育ち、こびることは、生き方として恥だと教え込まれた。母に「肉体を殺すことが出来ても、魂を殺すことが出来ない者を恐れるな」とも教えられた。ローマの権力を恐れる弟子たちにイエスが述べた言葉で、世俗権力を恐れるな、神のみをおそれよということ。首相の田中角栄と長きにわたって対峙(たいじ)し、しばしば思い出した言葉だ。
1974年、当時の田中角栄首相を退陣に追い込むきっかけになったとされる「田中角栄研究―その金脈と人脈」を月刊誌「文芸春秋」で発表。調査報道の先駆として高く評価された。政治だけでなく、宇宙や医療など多岐にわたるテーマを扱い、「知の巨人」と称された。母校の東京大学では「立花ゼミ」を主催するなど、後進の育成にも力を入れた。
2007年に膀胱(ぼうこう)がんが見つかったことを公表。病気や死をテーマにした執筆活動も行った。NHKによると、家族は詳細をホームページで公表するとしている。