IDOP(迫害下にある教会のための国際祈祷日)の課題でも取り上げたが、近年、インドでのヒンズーナショナリストらによるキリスト教徒への迫害が激化している。しかし、そのような迫害の嵐に耐えつつ、信仰を守り通しているある姉妹の証しを米オープンドアーズが伝えている。
インドの地方にあるヒンズー教徒の村に住む、若い母親であるキルチは、村から離れた教会に出席していたが、多くのヒンズー教徒と同様、病気の奇跡的癒やしを体験してキリスト信者となった。
数人の信者らと共に信仰を守っていたが、ある時、村の会合に呼び出された。
村長ら村人らは、暴力で脅し、キルチらが礼拝へ出席することを禁じた。そのため彼ら数人の信者らは、キルチの家に集まり、ひっそりと賛美と祈りをささげ礼拝を守った。
ある時その集まりの祈りを通して、村の若者の病が癒やされたのだが、狭い村でそのような事件を秘密にしておくことは困難だ。ほどなくそれは村人らに知れ渡り、村長の耳にも入った。
ヨハネ9章の生まれつきの盲人の癒やしの話のように、村長らは癒やされた若者を呼び出して聞き取りをしたが、信仰による癒やしの証しは、かえって彼らを怒らせた。
そこで村長らは暴徒をけしかけてキルチの家を襲わせた。人々が若者の癒やしの件でキルチに問いただすと、彼女は「イエスを信じる者は、この癒やしを受けるのです」と答えたが、これに怒りを覚えた暴徒らは、キルチの家を隅々まで略奪し、彼女の聖書を目の前で燃やし、集まっていた信者らを引きずり出して、棒で叩いた上に、ひどい暴力を加えた。
この間キルチは「主よ、御心ならば私をお救いください」と祈っていた。暴虐を尽くした暴徒らはやがて立ち去ったが、彼女は病院に運ばれ回復まで2週間を費やした。この時に負った背中の怪我によってキルチは今も後遺症を抱えている。
村長は拡声器を通じて村人らに呼び掛け、キルチの家から奪った家畜や食糧を村人らに振る舞って宴会を催した。村長は豪語して、集まった人々に「イエスを信じる者は、この仕打ちを受けるのだ」と言い放った。
退院して家に戻ってからは、キルチは村人から村八分の扱いを受け、村の井戸から水を汲むことも禁じられた。そのため彼女はやむを得ず真夜中に水を汲みに行かざるを得なかった。この時にオープンドアーズは、キルチのことを知るようになり、現地パートナーと共にキルチらをサポートするようになった。
2、3人の信者らは村長らを恐れ、だんだんキルチに距離を置くようになった。それにもかかわらず信者らが信仰を捨てていないと報告を受けた村長は激しい怒りに燃えた。
ある晩、キルチの家は男たちに取り囲まれた。激しくドアを叩き続けるのでキルチの夫がドアを開けると、彼らは夫を捕らえて、キルチを家に閉じ込めて、夫を連れ去ってしまった。キルチは激しく抵抗し、大声で何度も叫んだがその声は届かなかった。仲間の信者が異変に気が付き、キルチを助けに来たときには、すでに夫が連れ去られて数時間が経過していた。
翌日からキルチは、必死になって村から村へと夫を探し回ったが、夫にはひどい拷問が数日にわたって加えられ、無残にも殺されてしまった。警察当局はこの件で誰も逮捕せず、捜査すらしなかった。
少数の信者らと共に葬儀をあげ、夫は村の外に葬られた。
この酷い事件の後、キルチは子どもと共に村を去り、安全な家に移った。彼女は怪我の後遺症で働くことができなかったので、オープンドアーズと現地パートナー教会は物心両面で彼女と子どもたちを支えた。
信じられないほどの喪失と苦しみを通過したキルチだが、なお彼女の信仰は揺るぎがない。
「私はすべてをイエスの手に委ねました」とキルチは言う。 彼女は続けて、「悲しいときは、覚えた神のことばが私を支えます。すべての試練において主は私を助けてくれます。読み書きはできませんが、牧師の説教を覚えています。激しい迫害で新しい信者がたくさん離れていきましたが、神の恵みと兄弟姉妹らの支えによって、私は今もイエスの追従者です」と語った。
ヒンズー教の世界で、イエスに従うことを決断したキルチのような信者がたくさんいる。危険が去ったわけではないが、キルチは今、人々にキリストを指し示す光となるため、再びあの村に戻っていった。
キルチと子どもたちのために、またヒンズー世界で苦しむ同胞たちのために祈っていただきたい。
■ インドの宗教人口
ヒンズー 74・3%
プロテスタント 3・6%
カトリック 1・6%
イスラム 14・3%
英国教会 0・2%