カーネギー一家はピッツバーグのアリゲニー・シティに落ち着いた。ホーガン叔父の弟がリベッカ町の裏通りに織物工場を建てていたので、その2階を借りることになった。
父のウィリアムは、ホーガン叔父の後を継いで織物業をやることにして、テーブルクロスを織る仕事を始めた。母のマーガレットは靴を縫う仕事を覚えて内職を始め、週4ドルほど稼いだ。彼女は子どもたちに惨めな思いをさせまいと、白いカラーのついたさっぱりした服を着せていた。
そのうちに、父は織物をやめ、ブラックストックという人のやる綿織物工場に入ることになり、アンディのためにも糸巻きの仕事を見つけてくれた。彼は週1ドル20セントで初めての仕事に就くことになった。
朝は4時に起きて父と共に食事をし、夜遅くまで休みなく働いた。その後、ボビン糸巻きを製造しているジョン・ヘエーという人がアンディを自分の所で雇ってくれた。これは、地下の釜で小型の蒸気機関を操作して火炊きをする仕事だったが、13歳の少年にとっては体力的にも精神的にも負担が大きすぎた。
心身の緊張から夜もうなされ、毎晩起き上がっては釜を操作する動作を繰り返した。そして、釜が爆発したり、圧力が低すぎて仕事ができないと叱られる夢を見るのだった。
ヘエー氏は、そのうち請求書を作るために事務員を1人雇わなくてはならなくなり、アンディを好意的にそちらに回してくれた。アンディが几帳面で字もきれいだったからである。しかし、事務的な仕事の間には、新しく出来た糸巻きを油のつぼに漬ける作業があった。これは大変な忍耐を要するものであった。というのは、油のつぼに糸巻きをつけると強烈な臭いが立ち込め、どんなに我慢しても吐いてしまうのだった。
これ以上続けられないと思ったとき、突然ラウォダー叔父の言葉が心によみがえってきた。(真の英雄というものは、どんなに苦しいことがあっても、勇ましい心と雄々しい態度を忘れないものだよ)
そうだ。ブルース国王やウォーレスだったら、自分の仕事を投げ出すよりは死を選んだろう、と彼は考えた。そして、逃げ出したい思いに打ち勝って仕事に挑戦したのだった。そして、家に帰っても一言も愚痴をこぼさなかった。
そのうち慣れてくると吐き気はなくなり、楽に仕事ができるようになった。それとともに、何でも覚えられるものは覚えて人に喜ばれる仕事をしようという意欲が湧いてくるのだった。彼はヘエー氏から単式簿記を習ったが、当時の大きな商社では複式簿記を使っていたので、彼も同僚と一緒に夜学に通って勉強することにした。
こうした努力が認められないはずがなく、ある日、市の電信局長デーヴィッド・ブルックス氏が、電報配達をする少年を探しているということをホーガン叔父に告げた。そこで、ホーガン叔父はカーネギー家に立ち寄り、アンディのためにこの仕事を勧め、紹介状を書いてあげると言った。
カーネギー家では大変喜んで、早速、翌日父親が付き添って面接に行くことになった。母親は一張羅の紺のズボンと白い麻のシャツを着せてくれた。それはきれいに洗濯され、パリパリにノリがつけられてあった。
「お父さん、途中までついてきてくれればいいよ」。アンディはそう言って、町の辻まで父についてきてもらい、一人で面接を受けに行った。その結果、大変印象が良かったとみえ、ただちに採用が決まった。アンディに新しい人生が開けたのである。1850年の夏のことだった。
アンディは、初めから仕事に対する心構えが他の人と違っていた。彼はただ上から命令されたことだけをやるのではなしに、いかに早く、いかに正確に電報が届けられるかを考え、努力したのである。
まず彼は、配達しなければならない商社の住所を覚えるとともに、手帳に地図を書き、商社を順繰りに口に出して読んでみた。次に、できるだけ人の顔を覚え、その名前を記憶しなくてはならないので、つとめて商社や公共の建物を訪れたとき、いろいろな人と話し、名前を心に留めて帰った。
「あの少年は実に感心だ。覚えが早いし、郵便物を誰よりも早く届けるよ」。「それに、めったに間違えないし、一度会った人の顔を忘れないね」
近所でもアンディは評判となり、人々は口々に褒めるのだった。それがブルックス氏の耳にも入り、彼はいい少年を雇ったものだと会う人ごとにアンディのことを自慢するのであった。
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<あとがき>
家族と共に未知の国アメリカに渡ったアンディは、少しでも家計を助けようと、工場で働き始めます。しかし、それは過酷なものでした。彼は明け方4時に起きて朝食をとり、夜更けまで働かねばなりませんでした。また、仕事というのも地下に潜って圧力釜の調整をしたり、ボビン糸巻きを強烈な臭いのする油に漬ける作業で、これは13歳の少年にとっては荷が勝ちすぎるものでした。
しかし、彼は逃げ出したいという気持ちと闘い、その胸に焼きつけた英雄の姿を思ってじっと耐え、毎日コツコツと勤め励んだのです。そして、手探りで歩むうちにいつしか「人に喜ばれる仕事をすることが人をも自分をも幸せにするのだ」という信心を持つようになり、これこそが将来彼の事業を成功させる土台となったのでした。
やがて彼の努力が報われる日が来ました。市の電信局の配達員の職に応募し、見事に試験に合格したのです。これを足掛かりとして、アンディは成功への階段を登って行きます。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。12年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。その他雑誌の連載もあり。