多くの人に聞かれる質問がある。自転車はどうしているのか、食べ物や寝る所はどうするのか、といったものだ。今回はそんな話の中から。
自転車は使い慣れた自分のものを持って行く。運ぶのは段ボールの箱に入れるのが一番よく数回使ったが、箱を調達したり運んだりが面倒なので、いつも分解して専用の袋に入れ、スーツケースと同じように預けている。
だが、飛行機に預けるときはかなり乱暴に扱われることがあり、初めの頃はよく壊された。そのうちにだんだんと対応の仕方が分かってきて、壊されそうな部品は取り外し、寝袋やテント、衣類などを使ってクッションのかわりにする。最近は短距離を走る時間しかないため、折り畳み自転車を使い、ほとんど分解もしなくなったが。
食べ物については、行く先のお店で食べるか、自炊かで変わるのだが、全て現地調達なのは変わらない。フル装備の自転車を1日こぎ続けると、何もしないときの消費カロリーの3倍くらい必要になる。そのようなわけで、どこで何を食べるにしても、基本は量を食べることになる。
人口の少ない所を走るには、キャンプと自炊だ。砂漠の中の一本道のような、長距離で何もない所を走っていると、だんだんものを考えなくなって、頭に浮かぶのは、何を食べようかということになってくる。といっても、走って疲れた身でテントを張った後、いろいろと料理するのは大変なので、初めの頃はよく肉や野菜を焼いたりしていたが、だんだん缶詰を温めるだけのような感じになってしまった。
オーストラリアを横断したときに走った、ナラボー平原という1100キロ町がない所では、途中にあるガソリンスタンドの食堂のキッチンで食べ物を分けてもらった。そういうこともあるが、それでも先進国であれば、いろいろ好きな食材が手に入る。
そのナラボーでは、途中キャンピングカーで追い抜いて行った人がキャンプ場で待っていてくれて、食事をさせてくれたりもした。隣のキャンパーが食事に招いてくれるという同じようなことは北米でもあった。また、教会の礼拝に出ると昼食に招待してくださるということも時々あった。
食料が手に入りにくかった国で印象深いのは、東欧の民主化革命があった後に走ったルーマニアで、お店に食材がない方が普通で、食堂に行っても何もないと言われたが、そうしたらわざわざ自宅から食べ物を持って来てくれたり、自分は食べないのにわざわざバスで隣町のレストランまで連れて行ってくれた人もいた。
幸い米はたいていどこででも手に入るので、多少でもおかずになるものがあれば良い。しかし、アフリカの最貧国といわれる東アフリカのマラウイの田舎では、米、芋、卵しか手に入らなかった。
食堂のメニューにはいろいろ書いてあるが、頼もうとすると「それはない」の連続で、結局ポテトしかないといった感じだ。そんな所でもコカコーラは店の横に山積みになっていたりして、どこででも手に入った(値段は1本15円くらい。それでも現地の人にとってはかなり贅沢なものだと思う)。そのため、米を炊いてコーラをおかず代わりにしていた。
その米も現地の人にとってはまた贅沢なもので、泊めてもらった施設で他の人がウガリという芋のペーストを膨らませたものを食べているのに、白米を出していただいたのはありがたいことだった。実はその時は何もおかずになるものはないのかとがっかりしたのだが、あとで白米がどんなに贅沢なものかを教えられたのであった。
料理の燃料は、先進国ではガスのカートリッジが普通に手に入るのでそれを使っていたが、こうした途上国を走るときは、世界中どこででも手に入る自動車用のガソリンを使えるストーブを持って行った。灯油やホワイトガソリンの方がキャンプ用の燃料としては普通だが、入手しにくいためだ。
最も大切な水も、ミネラルウォーターなどはなく、夜、雨水の上澄みをもらい、煮沸して朝冷めたものを使ったりした。その他はコーラが水代わりだったが、炎天下を走って冷たいコーラを飲みたいと思っても、冷蔵庫がある所は少なく、電線が通っている店を選んでも、電気代が高いからと冷蔵庫は単なる入れ物であることが多かった。
逆に、安くておいしいのは中国から東南アジアだった。おかわり用のご飯は洗面器で出て来て自由にとるのだが、その洗面器のご飯を全て平らげたところ、店員がびっくりしてもう1つ洗面器を持って来た。さすがにそれを食べるのは無理だ(笑)。
最も安くて大量に食べられたのはネパールで、これでもかと3~4人分くらい食べまくって2ドルくらいだった。しかし、それは町でのこと。田舎では、メニューを選ぶことはほとんどできない。
食事で注意しなければならないのは当然衛生面のことであるが、南米ではひどい食中毒になって入院と病院通いを繰り返し、ほとんど走れないまま帰国した苦い経験がある。そのため、それ以降は火を通したものしか食べない、冷めたものはもう一回火を通してもらう、飲み水も栓を確認するなど、注意するようになった。それでも時々お腹をこわす。
食事がいいと書いた東南アジアでもミャンマーは例外で、油、それもおそらく古いものを使ったギトギトの揚げ物ばかり多く、ある夕方着いた村でお腹が痛くて動けなくなった。その後は卵をのせたインスタントラーメンばかり食べていたが、油料理よりはずっと良かった。
宿泊は、先進国で毎日宿に泊まっていては費用が大変なので、野宿主体であったが、自然の中で寝ることは、朝夕の素晴らしい風景との出合いをたくさんもたらしてくれた。夕日を見ながら食事を用意したり、満天の星空の下で寝たり、朝テントを開けると朝焼けが広がっていたりもする。
そして、時々泊めていただくことがある。英語圏ではやはり話がよくできるため、泊めていただいたことが多かったが、英語圏はキリスト教国と重なるので、教会に泊めていただくことも多かった。
そんな時は食事も下さるのだが、どこでもデザート付きのすてきな料理ばかりなので、一度、いつもデザートを食べるのですかと聞いたことがある。その答えは、あなたがいるからですよ、というものだった。もてなしを感じられた、とてもうれしいことだった。そうして泊めていただいた方の中には、何十年かたっても交流のある方もいるが、それもまたうれしいことだ。
反対に、途上国では宿は安く、数百円くらいが普通だが、もっとも安い宿はバングラディシュで、水とはいえシャワー付きのかなり広い部屋が1泊12円だった。食事を入れても1日200円もあれば足りる。これではいくら自然の中の方がいいとはいえ、どこに誰がいるか分からない危ない所で寝るメリットは小さい。
キャンプした場所で面白いのは警察署だ。キャンプできる所があるかと聞くと、庭にテントを張っていいと言ってくれる。警官が全ていい人かという疑問を全くなくすわけにはいかないが、ここなら他よりはずっと安心できる。
宿代は安いのだから少し贅沢をしてもいいかと思うこともあるが、屋根と寝床があればいいという程度の宿しかなく、贅沢をしたくても何もないときの方が多い。
お風呂もあった方がいいが、井戸で水浴びとか、冬はたらいの水に熱湯を加えたものを使うとか、普段当たり前にしている温かい湯につかるなど、とても贅沢なことだと思う。
それどころか、夜になっても宿が見つからず、夜中まで走り続けたり、ということもあるので、宿があるだけで感謝なのである。
食事にしても宿にしても、車であればそこに気に入ったものがないからと何十キロも先でもすぐに行くことができるが、逆にそれができない自転車だから、その状況を受け入れなければいけない。
何気ない普段の生活も、実はとても感謝なことと感じられ、結果的にはそれが現地の人たちの生活の一端を体験することにもなっていた。それもまた、自転車旅の良いところなのだと思う。
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