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ジョージアの回で、アイスランド人のサイクリスト、ジョンさんに出会ったことを書いたが、その時に次にどこを走るか決まっていないなら自分の国に来ないかと言われたので、彼の国を一周(約1500キロ)することにした。寒い国である。普通に走れるのは当然夏の間の短い期間のみだが、それでも雪が降ることもあるから準備は十分するようにと言われた。
2008年6月30日夜11時、ほとんど白夜のため、まだ日が落ちぬレイキャビク空港着。ジョンさんが迎えてくれ、夕焼けの街に向かう。2時ごろ寝たが中々暗くならずまだ夕焼けは残っていた。
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初日は街とその周辺を案内してもらった。この国は本州の半分くらいの大きさに31万人しかおらず、そのうち4分の3がレイキャビクに住んでいるため、他の地域はおのずと想像がつく。地熱を利用する暖房システムのため大気は汚染されておらず、世界一空気のきれいな首都といわれる。しかしこの日、天候は砂嵐。天気予報も悪く、特に風速10メートル以上の北東風との予測は憂鬱(ゆううつ)。島の一周はどっちに回るかがテーマになるが、島を時計に例えると8時の位置にあるレイキャビクからは、この風ではどっちでも同じようだ。反時計回りを勧められ、翌日スタート。分かってはいたが北東=斜め前からの風は、進まない上にトレーラーにはあおられて倒されそうになる。それでも街から離れると車は減り、風も少し収まった。
税金の高い北欧ということで、物価は高いとも知っていたが、いざサンドイッチ一切れ500円、ハンバーガーが千円もするのを見るとつらい。キャンプ場を見つけ食料品を買って自炊。しかし無料のキャンプ場もあるし、人がいなければどこにテントを張ってもいいし、スーパーで安い品物を買えばかなり出費が抑えられるというのは、だんだん分かっていった。ちなみにこの国はクレジットカード先進国でどんな小さな店でも使え、全くキャッシュを持っていなくても大丈夫。
スタートの3日間は天気が悪く向かい風がひどく、特に2日目は最悪。雨の中の向かい風で時速8キロくらいしか出ない。しかし雲が切れて太陽が顔を出し、虹が見えた時は、ほっとする一瞬だった。その日は夕方クタクタになって農家の庭にテントを張らせてもらった。
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天候の悪さに増してトラブルも発生。タイヤが破裂してしまった。2千キロしか走っていないタイヤなのでまだ大丈夫と思いスペアを持っていなかったのが誤算だった。この自転車は昔のいわゆるサイクリング車で、長距離旅行に向いていて自分に合っているので長く乗っているのだが、使っている日本のママチャリと同じタイヤサイズが今は海外ではマイナーなものになってしまっている。町はほとんどないし、自転車屋があったとしてもこのサイズが置いてあるとは思えない。このタイヤで何としても走らなければならない。チューブにゴムシートを巻いてひもで縛って、裂けた部分に力が加わらないようにして、だましだまし走る。
そんなふうにほとんどどんよりした雲の下を走っている感じだったが、この旅の見所の一つである、入り江に落ち込むユクルサルロン氷河に着いたところで、ずっと曇っていたのが急に晴れ、澄み切った青空の下、日の光を受けて青く輝く氷河の美しさを見せていただくことができた。ハレルヤ。
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島の東側はフィヨルドが続き、すぐ近く見えている対岸へ行くのに、入り江の奥までいったん入ってまた戻ってくる感じだ。風は相変わらず強く、行きは追い風だが帰りは向かい風、天気は相変わらず悪く寒い。しかしこんなひどい天候なのに毎日何組か自転車に出会った。さすがここはヨーロッパの国なのだなと思う。東海岸の最後の入り江に来た所では徐々に雲がとれ、青空の下雪を残すフィヨルドの山々と青い海、緑の牧草地のコントラストが美しい。
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この辺りから周回道路は、山に入って行く。街に出て(といっても人口わずか1600人)自転車屋を見つけタイヤを探す。少し違うサイズしかなく、ないよりましだと買ったが、強引にはめようとしてもはまらず、ワイヤーが切れてしまいタイヤが歪んでしまった上に、はめる時にあちこちチューブも傷つけてしまったようだ。それでも何とか走れるようになった。
この町を過ぎると、しばらくほとんど人のいない地域となる。この国は大西洋中央海嶺の真ん中にあるため地殻変動が激しく、そのためかあちこちで豪快な滝が見られる。その一つデンティフォス(滝)は幹線道路から砂利道を25キロほどいったところにあるが、見所の一つと勧められていた。分岐から次の町ミー湖畔までは20キロほど。まだ午前中なので行ってみることにした。荷を降ろして身軽になったがむごく荒れた道は走りにくく、ゆっくりと行く。着いてみると水しぶきにきれいな虹がかかり、豪快な滝とのコントラストは往復6時間をかけた甲斐がある期待以上のものだった。
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周回道路に戻りミー湖畔へ着くと、キャンプ場にはたくさんのテントが張られていた。
その先島の北側、この国第2の都市(と言っても人口2万人足らず)アクレイリの手前のフィヨルドも美しく、牧草地に転がる干草ロール、さまざまな形の雲、太陽光の乱反射する海面、シルエットで見える氷食地形・・・と絵になる風景ばかりだった。
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しかしアクレイリを出るとまた悪天候。小雨と強風の下の峠越えを2つ。ここまで周回する1号線を走ってきたが、島を南北に突き抜ける道は悪路だが幾つかあり、そのうちの一つ一番西側の縦断路は、200キロと手ごろな距離で比較的走りやすく勧められていた。ただし天候が良ければとのことであるが。新聞で調べた天気予報は相変わらず悪いが、せっかくだから行ってみようと縦断路に踏み込んだ。路面を見ると新しい自転車のタイヤの跡が2台分ついている。他にもいるようだ。上り坂では相変わらずの強風と雨に悩まされ、最初のうちは良かった路面も高原に出てから荒くなり、ペースはぐっと落ちた。このルートのちょうど真ん中にはオアシスのように温泉が湧いている。やっと8時ごろ着いてキャンプの用意をし、適度に熱い温泉につかる。雰囲気としては日本の山の中にある秘湯といった感じだ。翌日はさらに天気は悪く、昨日以上の向かい風、路面は悪く夕方になって風雨はひどくなり嵐になった。手袋をしていても手がかじかむ。それでもその嵐の中を逆方向に何組か自転車がすれ違った。温泉まではたどり着けまい、どこに泊まるのだろう。下界にたどり着いて舗装路になっても風で時速8キロの世界、100キロを普通の倍の14時間かかってやっとキャンプ場にたどり着き、思い切り食べまくる。
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最終日の7月16日、レイキャビクまで残り100キロだが、ジョンさんに電話したら途中まで迎えに来てくれ、完全な一周にはならなかったが、世界最大の露天風呂ブルーラグーンに連れて行ってもらった。広さだけでなく入場料の方も3千円とこちらも世界最大級だ。
アイスランドという国がどういうところかよく知らなかったが、こんなに美しいところだとは思ってもいなかった。確かに天気はほとんど悪く、風はいつも前から強く吹いていたような印象できつかったが、そんな大変な思いをしたからこそ、たまに晴れたときの美しさは感動となって記憶に残る。自転車の旅は確かに大変なこともあるけれど後に大きな思い出となって残っていく。この土地は今まで訪れた中で最も大きなそれとして残っている。もしかしたら人生も同じかな、辛いことのある人生の方が、何事もなく終わるものより充実した感謝なものなのかもしれない。
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