1. 死んだ方がましだ!
その日、齊藤諒君(当時16歳)は、自転車で高校に通学中だった。「あっ」と思った瞬間、自転車ごと乗用車に跳ね飛ばされ、頭から地面に叩きつけられた。そのまま救急車で病院に運ばれる。頸椎(けいつい)を骨折した諒君は、その日から、両手両足が完全に麻痺して常時人工呼吸器の装着を余儀なくされた。医師は「現代の医学では一生治りません」と宣告。障害等級の最重度「特I種」に認定された。
「こんな生活が一生続くのか。死んだ方がましだ!だけど、自分で死ぬこともできない・・・」。野球一筋で甲子園を目指してきた諒君は生きる希望を失い、絶望感だけが増した。「僕をこんな目に合わせて、どうしてくれるのか!」。ただ怒りしかなかった。加害者は27歳の男性。しかも、自動車保険が期限切れで賠償金は1円も出ない。
「諒の人生を返せ!元通りにしろ!一生同じ苦しみを負わせてやる!」。加害者とその父親が病院に見舞いに来たとき、姉はこう言って食ってかかった。「見舞いに来る暇があるなら、働いて金持ってこい!」と罵倒して、父は彼らを追い返した。加害者の祖父(当時84歳)が来てくれたときは、母は「顔も見たくない!」と追い返した。
2. 聖書との出会い
事故後5カ月が過ぎ、つらくて死にたい絶望感に襲われていたときのこと。野球部の先輩が、その母と姉、そして通っている教会の女性牧師とその2人の娘と一緒に見舞いに来てくれた。父、母、姉と共に諒君は初めて牧師から聖書の話を聞く。特に、キリストの癒やしと赦(ゆる)しの話を聞いて、人前で泣いたことがなかった諒君の目に涙があふれてきた。
神を信じれば、どんな病も癒やされる可能性があるんだ!どんな罪も赦すことができるようになるんだ!「この病は絶対に癒やされない、この加害者は絶対に赦せない」と固く信じてきた諒君と家族に、希望の光が差し込んできた瞬間だった。その場で、諒君と家族はそろって、自分たちの罪を悔い改めて、キリストを救い主として受け入れ、加害者を赦す告白をした。
その後、諒君は数々の奇跡を体験し、病院から退院し、自宅に戻ることができた。四肢麻痺・人工呼吸器装着のまま車いすで高校に通う。出席日数と単位が足りず高校は中退したが、めげずに勉強を続け、高卒認定試験に合格。完全インターネット制の「サイバー大学」で5年間学び、平成29年3月に卒業。
3. 加害者との和解
その間、諒君は家族と一緒に聖書の勉強会に参加し、聖書を学んで信仰を深めた。この事故をきっかけに、家族が一つになった、本当の平安が得られた、重荷から解放されて元気になったなどのことから、加害者側の苦しみも分かるようになった。
加害者の家族は苦悩の涙を流した。加害者は若いのに心労で髪の毛が抜けて無くなってしまった。諒君の誘いで加害者と家族も聖書の学び会に来るようになった。父が紹介して、父の職場で加害者の父が一緒に働くようになった。
当時、加害者に対して事故の賠償金請求裁判を起こしていたが、母は「これ以上加害者を苦しめることはできない。一刻も早く裁判をやめたい!」という思いになり、弁護士を通じて訴訟を取り下げ、裁判は終結した。
こうして、被害者と加害者の家族全員がキリストを信じて救われた。諒君は今、ブログや出版物で人々に福音を伝えながら、希望をもって全力で生きている。
人にはできないが、神にはできる。神にはなんでもできるからである。(マルコ10:27)
(『齊藤諒の生きる力』文芸社刊及び Kindle 版から一部引用)
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