今日ご紹介する人物、ホーリス・グリーリー。『100人の聖書』に登場する人物の中で、一番といっていいほど知名度が低い人物ではないでしょうか。私もあまり詳しくありません。もしすぐに「あっ、あの人ね」と言える人がいたら、その人はスゴイ!です。
1800年代に活躍した新聞編集者であり、当時アメリカで最も影響力のあった日刊新聞「ニューヨーク・トリビューン」を創刊した人物、それがホーリス・グリーリーです。その彼の言葉です。「聖書を読んでいる人々を、精神的に、あるいは社会的に奴隷にすることは不可能である。聖書の原理は、人類の自由の土台である」(『100人の聖書』130ページ参照)
聖書やキリスト教会というと、「あれダメ!」とか「これするな!」が多く、自由とは程遠くて、戒律や縛りが多いもの(ところ)だと思われがちですよね。でも違います。逆に、聖書は私たちに本当の自由を教えてくれるのです。キリストの神様は、人を本当の意味で自由にして、楽しませてくださるお方です。
ホーリス・グリーリーが言っているように、本当に聖書を読んで、聖書を正しく理解するならば、奴隷になってしまうのではなくて自由になります。キリストの神様は愛なるお方なので、私たち人間が本当に自由に人生を楽しむために、それを阻害するような行為はちゃんと禁じてくださっているのです。ここに愛があるわけです。
何でもかんでもOK、やっていいよと言うお方ではありません。それは単なる放縦であり、無責任です。そうではなくて、人が本当に自由に人生を楽しむための方法を教えてくださり、それを阻害したり妨害したりする行為や偽りの楽しみを禁じてくださっているわけです、聖書の中で。本当に、世界中の人々が自由に歩み、楽しんでほしいと思われているからです。
私たち人間を自由にして、楽しい平和な人生を歩ませるために、キリストの神様が聖書で教えていることはいろいろありますが、その中で2つご紹介します。この2つの教えは、聖書に出てくる有名な教えです。でも、なかなか受け入れることが難しいかもしれませんし、世の常識、世の流れとはまったく逆のはずです。でも、この教えに従って生きるなら、本当の意味で人生を自由に楽しめるわけです。
(1)「赦す」ことです。ホーリス・グリーリーは「聖書を読んでいる人々を、精神的に・・・奴隷にすることは不可能である」と語っています。なぜでしょうか。人は、怒りや憎しみや嫉妬などによって自分自身が束縛され、精神を病んでしまい、心身ともに壊れていくからではないでしょうか。逆を言えば、聖書を読んでいて、聖書の教える大原則「他人を赦(ゆる)す。自分を傷つけた人を赦す。自分を裏切った人を赦す」ことができるなら、精神的に自由であり、精神的に守られ、安全な人生を歩めるわけです。
確かに、世の中には本当に悪い人が存在しますよね。皆さんの身近なところでもいろいろな人がいるはずです。皆さんの悪口を言いまくっている人。皆さんが良くしてあげたのに、その恩を仇で返すような人。また、裏切られた体験や急に一方的にフラれた経験などがあるはず。でも、そのような人のことをも赦しなさい、と聖書は教えているわけです。
赦せない、復讐したいという思いは分かります。その代表的な話が忠臣蔵・赤穂浪士事件でしょう。ですが、赦せない状況が続くなら、自分が苦しみ続けることになり、精神も疲れます。楽しい、平穏な人生がどんどん遠ざかるわけです。また、赤穂浪士47人のように復讐をしても、今度は自分が追われる身、狙われる身になります。剣を持つ者は、自分も剣で倒されるものです。
だからこそ聖書は、人間に解決策を提示しています。それが、「赦しなさい」です。この教え(命令)に従うことができるならば、人生は一段と楽になり、平穏なものとなり、皆さんは本当に自由になるわけです。でも、キリストの神様は愛なるお方であると同時に、義なるお方なので、皆さんの悔しさや悲しみ、そして思いもご存じです。
ご安心ください。キリストの神様は不公平なお方じゃありませんから、こう語られています。
「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」(新約聖書・ローマ人への手紙12章19節)
だからこそ、あなたが怒り続ける、憎しみ続ける、復讐する必要はないのです。もう赦して、キリストの神様にお任せしましょう。キリストの神様は、あなたを愛しているので、あなたが楽になって人生をエンジョイできるためにも「あの人を赦しなさい」と語っておられます。それと同時に、キリストの神様は義であり、不公平を嫌うお方であり、悪を見逃すようなお方ではないので、「わたしが復讐をするんだよ」とも語ってくださっています。
さあ今日、聖書の教えに従って、怒りや憎しみ、そして復讐心を捨てて、本当に自由に、楽になりませんか?
(2)聖書の有名な教え、それは「性的関係の制限」です。ホーリス・グリーリーは「聖書を読んでいる人々を、精神的に、あるいは社会的に奴隷にすることは不可能である」と語っています。なぜでしょうか。人は、道からはずれた性関係や乱れた性行動によって、精神的にも社会的にも奴隷になってしまうからなのです。
逆を言えば、聖書を読んでいて、聖書の教える大原則「結婚まで性の純潔を守る。性関係は夫婦間のみ。夫婦間で楽しみなさい。今までに性的に誤った関係を持ってきたなら、今からやめて聖書の教える通り生きなさい!」、これらに従って生きるのであれば、精神的にも肉体的にも本当に自由であり、社会的にも安全で堂々と人生を歩めるわけです。
今の世の中は、本当に性が乱れていますよね。多くの人が、不純な性関係を生きています。不倫、婚前交渉、売春、同棲、性犯罪、同性愛(婚)、ポルノなど。ほとんどの人は、自由に自分の性生活を謳歌(おうか)していると思っているわけでしょうし、その結果、いとも簡単にいろいろな相手と性関係を結んでいます。
でも、そのような生き方を、聖書はストップ&やめなさいと教えているわけです。聖書は、「罪からくる報酬は死である」と教えています。キリストの神様は、本当に皆さんを守り、皆さんが安全で平穏な一生を過ごせるためにも、「結婚するまで性関係を持つな。結婚したら夫婦の間だけで楽しめ。今までに間違いを犯してきたなら今日からやめて、聖書の示す生き方を生きよ」と聖書によって教えてくださっているわけです。
不倫関係があるなら、自分の家族も相手の家族も崩壊させてしまいます。不倫している当事者だけでなく、周囲の人も傷つくのです。映画「パンとバスと2度目のハツコイ」(2018年2月公開、深川麻衣さん主演)では、妻の不倫によって、ある家庭が引き裂かれています。幸せな家庭は不倫1つで崩壊します。この映画では、それより前にいわゆる「でき婚」という問題があるのですが、道をはずれた異性関係は、人生にマイナスしか残しません。
婚前交渉、要するに結婚前の同棲やら性交渉が当然となっている世の中ですが、そんなことをしていたら、いつか妊娠、中絶(殺人)に行きつきます。売春や買春、そんなことをしていたら、病気をもらい、体がボロボロになるのは目に見えています。まさに自由に性関係を続け、多くの相手と寝るようなことを続けるならば、「自由」なようで、そして性を謳歌しているようで、実際、自分の体に汚れや病気を招き、いつか中絶(殺人)という罪を犯しかねない状態に追い込まれてしまうのです。
不倫の場合は、多くの人を傷つけ、いつか家庭を崩壊させてしまいます。同棲の場合も、将来結婚するパートナーに対する裏切りです。性を謳歌しているつもりで、本当に安全で平穏な人生からどんどん遠ざかっているわけで、自由ではなく、自分の将来に束縛を招いているだけです。
まさに、「罪からくる報酬は死」なのです。乱れた性生活を歩み、不特定多数の相手と性交渉したり、結婚前に同棲したりすることで、自分に迎え入れるものは、デメリットオンリーであり、死(良くないもの)ばかりなのです。
そのことに、現代人の多くが盲目になっています。自由に性を謳歌しているようでも、性関係を楽しんでいるようでも、いつか滅茶苦茶なことになる危険性、妊娠→中絶(殺人)することになる危険性、 病気になる危険性、何より自分の体を一時の欲求ゆえに他人に汚させてしまい、将来のパートナーに対しても裏切り行為をしているという事実は消えません。
聖書は、そのような無意味な人生や危険やデメリットからあなたを守るために、大切なことを提示しています。それが「性を聖なるものとして守ること」です。
要するに、何度も書きますが、(1)結婚までは性の純潔を守る、(2)結婚後、夫婦間のみで性関係を大いに楽しむ、(3)今までに性的過ちを犯してきたのであれば、今日から一切やめて、聖書の教える生き方をするということです。
この教え(命令)に従うならば、人生は本当に自由になり、一段と美しくなり、高貴なものとなり、安全で平穏なものとなります。同時に、キリストの神様は愛なるお方であり、義なるお方であり、全知全能なので、人間の体のこともご存じです。
だから、ご安心ください。キリストの神様は、禁欲主義を唱えるお方ではありません。キリストの神様は、人間の性欲は全部ご存じです。ここで禁欲を命じるようなお方ではありません。「1人の男と1人の女が結婚して、性生活を楽しみなさい!」と教えています。だからこそ、乱れた性生活や不純な性関係を続ける必要はありませんし、それを肯定する理由もありません。そんな生活や関係は断ち切って、キリストの神様の教えに従っていけば幸せになります。
キリストの神様は、人間を本当に愛しているので、人が安全に平穏な人生を過ごせるためにも、「性を聖なるものとして守る」ことを聖書の中で教えてくださっています。それと同時にキリストの神様は、人に禁欲を無理強いするようなことはされません。「結婚して夫婦間(だけで)楽しみなさいよ」とも語っておられます。
結婚までは、男性も女性も、清くあり続けるべきですね。結婚するかどうかも分からない相手と体を求め合うなんて非常に無意味なことで、汚れたことです。女性の皆さんが求めるならば、明日のホワイトデーにお菓子を彼に求めるぐらいがちょうどいいのです。
男性の方も、何か彼女に変なことを要求する前に、明日はあげる側です。女性も男性も、求めるよりは与える(体以外のものを)ほうが幸いなのです。さあ今日から、清い人生を送る決心をして、今までの生き方や悪い関係などを清算し、新しい人生を始めませんか?
今日は、1800年代に活躍したホーリス・グリーリーの言葉を紹介しました。実に、聖書を読んで、本当にその教えに生きるなら、もっともっとあなたは自由になり、人生も楽しいものになり、毎日が豊かなものとなるのです。
次回の百人一読は、元首相、中曽根康弘氏の言葉を紹介します。人の本性は、その人の部屋にあるもので判断できるのではないでしょうか。また、人がどういう人なのかは、その人が持っているものによってある程度は分かっちゃいますよね。さすが、日本を代表する政治家・中曽根元首相、持っていたものが違います!
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【書籍紹介】
篠原元著『100人の聖書』
本書を推薦します!
「他の追随を許さない数と挿話」
――奥山実牧師(宣教師訓練センター[MTC]所長)
「牧師の説教などに引用できて便利」
――中野雄一郎牧師(マウント・オリーブ・ミニストリーズ)
「聖書に生きた偉人たちの画廊」
――峯野龍弘牧師(ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会)
ご注文は、全国の書店・キリスト教書店、Amazon、または、イーグレープのホームページにて。
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