笑いは謙遜な心から生まれてきます。不平不満を言わず、あるがままを受け入れ、感謝していると、自然に笑顔になり、笑いがあふれてくるものです。現状に不満を抱き、あるがままを受け入れず、腹を立てていると、怒った顔になり、怒りが込み上げてきます。笑いは、すべてを感謝する心から生まれてくるのです。
聖書は、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(Ⅰテサロニケ5:16~18)と語ります。
ところで、聖書の中で、キリストが「笑った」と書かれている箇所はありません。「怒った」とか、「涙を流した」とは書かれているのにです。ある厳格なキリスト教の一派は、「キリストでさえ笑ったことがないのだから、われらクリスチャンは笑うべきではない!」と教えたそうです。
実際、キリストは本当に笑わなかったのでしょうか。いろいろ考えて結論は、キリストはむしろ、いつも喜び、いつも笑い、笑顔でユーモアに満ちていたと思います。キリストがいつも喜び、笑い、笑顔であったことは一目瞭然で、誰もが知っていることだとしたら、あえてそれを聖書に記す必要がないからです。
ところが、「怒った」とか、「涙を流した」というのは、珍しいことなので、聖書に記したのでしょう。
「イエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて」(ヨハネ11:33)
「イエスは涙を流された」(ヨハネ11:35)
キリストが怒ったのは、人々を苦しめる「罪」「悪魔」「病気」「死」などに対してで、キリストが泣かれたのは、人々の「悲しみ」「痛み」を共に泣かれたのです。さらにキリストは、人間を苦しめる「罪」「悪魔」「病気」「死」や人々を悲しませる「問題」「苦しみ」「痛み」を、十字架で身代わりに背負われ、死なれました。キリストは死んだ後、墓に葬られました。しかし、3日目によみがえられました。そして、今も生きておられ、信じる人を救われます。
この世には、つらく悲しいことがたくさんあります。しかし、キリストを信じるなら、その悲しみや痛みをもたらす諸問題、病い、呪い、死を超越して生きることができます。キリストを信じた人は、罪が赦(ゆる)され、神の子どもとなり、永遠の命と天国のパスポートが与えられます。
その瞬間から、喜びと平安が心にあふれ、笑いが込み上げてくるのです。笑いは心に幸せを与え、体に健康を与えます。「笑いは、健康に良い」「笑いは、がんを癒やす」と多くの医学博士も語ります。
笑いは、すべてを感謝する謙遜な心から湧き上がります。キリストによって救われた人の心に湧き上がります。そして、笑うと心と体の健康に良いのです。
笑いに満ちた1日でありますように。
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