子どもが健全に成長するためには、しっかりとした道徳の基礎を示していく必要があります。
子どもは、親が「何を語るか?」よりも、「何をしているか?」に注目しています。
「正直でありなさい!」と教えているのに、それを実践しなかったとしたら、悪い道徳教育を施していることになります。
例えば、「うそをついてはいけない!」と繰り返して教えている親が、電話のベルが鳴ったら、『「お父さん(お母さん)は今家にはいません」と言いなさい!』と言ったとします。
子どもは、「そうか、親のためにうそをつくことは許されるのか!?」と学習し、それが発展すると、「それなら、親にうそをつくことも許されるはずだ!」と考えるようになります。
子どもに、「法律を守りなさい!」と教えているのに、車にスピード取締を事前に教えてくれる探知機を設置してスピード違反を繰り返しているとしたらどうでしょう。
子どもは、「そうか、法律を破っても捕まらなければいいんだ!」と学習するでしょう。
子どもは、親の生き方、つまり、背中を見て育つと言われます。良いことを教える以上に、良い手本を示していきたいものです。
これは、部下や後輩に対しても同じですし、いつも良いお手本を示せる人でありたいものです。
良い手本が良い人材を育てることになり、その人材はまた良いお手本を示す人となっていきます。その連鎖が良い世界を作り出していくのではないでしょうか。
使徒パウロは、人に良い手本を見せながら、「お願いです。兄弟たち。私のようになってください」(ガラテヤ4章12節)と語りました。
私たちも、自信を持ってそんな手本を示せる人になりたいものですが、そう一筋縄にいくものではありません。
どうしたらいいでしょうか?
聖書は、「愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい」と語ります。
神に祈り、神にならうことから始めていったらいいのです。神にならうその生き方が、いつの間にか、良い手本を示せる人に成長していくのです。
皆さんは、すでに良い手本を示せる人となっています。次の世代を担う子どもたちをはじめ、周りの人たちに良い影響力を持つことができますように。
素晴らしい1日でありますように。
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