本紙でも度々報じてきたイラクのキリスト教。本書は、ともすれば断片的になりがちなその状況の背景にある、2千年にわたって綿々と続く深い歴史を縦横無尽に掘り下げ、1冊の本に包括的かつコンパクトにまとめて概観した、貴重な通史である。
出版元であるキリスト新聞社は、本紙宛ての手紙の中で本書について、「2千年前の誕生間もないキリスト教が伝えられた中東で、今も息づく最古のキリスト教の歴史を、イラク出身の著者が記した1冊です」と説明している。
著者のスハ・ラッサム氏は本書の内容について、第1章では「メソポタミアに焦点を絞って、中東地域の変化について、またイエスの時代のこの地域の歴史的、文化的、宗教的背景を簡単に述べる。それに加えて、ごく簡単に、中東のキリスト教の状況、特にキリスト教社会を分裂に導くことになった公会議との関連を述べ、メソポタミアの二つの教派、東方教会とシリア正教会がどのように出現したのかを述べる」と説明している。
また、第2章〜第6章では、「この地域が何世紀もの時間を経て今日の現代イラク国になるまで、メソポタミアの土地に移植されたキリスト教共同体が、どのようにして生まれ、どのように発達し、変容されていったかについて述べる」と記し、「最後に、イラクにおけるキリスト教の現状を簡単に述べる」と付け加えている。
イラク出身の女性キリスト教徒であるラッサム氏は、バグダッド大学医学部で助教授を務めた後、英国でさらに医学の研究をしている医学博士である。それと同時に、ロンドン大学東洋アフリカ研究所で自らのルーツである東方キリスト教について研究し、修士号も取得しているという。
訳文は、ごく一部に少し気になるところはある(例えば、259ページの「アジア教会協議会(CCA)」は正しくは「アジアキリスト教協議会(CCA)」。253ページの「平和のための世界宗教会議」は、「世界宗教者平和会議」のことか)ものの、おおむね分かりやすい。日本語では統一されていないことが多い固有名詞や東方教会の用語について、訳者の苦労が見て取れる。
本書は、英国のカトリック出版社「グレイスウィング」から出ている英語原書『Christianity in Iraq』の第1版(2005年出版)と第2版(10年出版)のうち、第2版の第8章を省く形で出版されたもので、原書はいずれの版ともアマゾンなどで購入可能。訳者は、16年5月5日付の訳者あとがきで、著者は「再版以後の状況についても、いま追加執筆中である」と記している。グレイスウィングのウェブサイトには、第3版となる『Christianity in Iraq in the Modern Era: From Tolerance to Persecution to Genocide(現代におけるイラクのキリスト教:寛容から迫害と大虐殺へ)』という本の情報もあるが、同社は27日、本紙からの問い合わせに対し、「第3版の在庫はまだありません。2、3週間後に本が入ってくるとよいのですが」とメールで回答した。
これまで中東のキリスト教に関する本としては、日本語では、菅瀬晶子著『新月の夜も十字架は輝く―中東のキリスト教徒』(山川出版社、10年)、坂本陽明著『東欧・中東とキリスト教』(聖母の騎士社、02年)、中東教会協議会編『中東キリスト教の歴史』(日本キリスト教団出版局、1993年)などがあったが、イラクのキリスト教に関する本書のような本は、少なくとも日本語では他に類を見ないといってよいだろう。
本書を読む人は、ニュースを含めたイラクのキリスト教に関する理解を深めることができるであろう。そして、イラクといえばイスラム教のイメージが強いという人や、とかく西方教会にばかり目が行きがちな人は、2千年にわたるイラクのキリスト教の歴史がつづられた本書を読むことで新鮮な驚きを覚え、そこから何かを学ぶことができるかもしれない。
本書の帯には、「イラクのキリスト教徒に平和が訪れることを願って翻訳出版」されたと記されている。過激派組織「イスラム国」(IS)による暴力から逃れて難民となり、故郷から避難していたイラクのキリスト教徒が、再び故郷に戻り始めるという重要な局面にさしかかっている今こそ、イラクのキリスト教が持つ悠久の歴史をたどり、その現在を捉え、未来を見据えるために、本書を手に取ることをお薦めする。
スハ・ラッサム著、浜島敏訳『イラクのキリスト教』(キリスト新聞社、2016年10月21日、336ページ、税別2300円)