後藤健二さんのジャーナリストとしての思いを描いた音楽劇「藍色のシャマール~彼の視線の先にあったもの~」が3月26、27日の2日間にわたって、大阪市の日本バプテスト大阪教会で上演された。教会内での上演は、今回が初めて。
イースターの特別企画として、教会側から打診があった。「後藤さんの視線の先には、いつも弱い者がいた気がする。今回の事件は非常に残念だが、聖書の言葉にあるように、彼は一粒の麦になったのではないだろうか」と添えられた言葉が、脚本を手掛けた馬場さくらさんの心に響いたという。
キャスト、スタッフとも、同教会のさまざまな心遣いに「心から感動した」という。教会内で稽古をしていたときには、おにぎりの差し入れ、上演後の打ち上げには、手作りケーキの差し入れがあった。「この劇の中にも、ゴトウケンジが教会を訪れる場面が多く出てくる。初めて教会で上演したが、この劇にはぴったりな場所だと思う」と馬場さんは話した。
上演後には、馬場さんとゲストが話すトークライブが行われた。26日には、本紙記者(筆者)が登壇。馬場さんと後藤さんについての思い出話を語り合った。同劇の脚本を手掛けるに当たって、馬場さんが後藤さんを取材したときのこと。後藤さんは「僕はジャーナリストである前に、一人のキリスト者だ」と語ったという。「彼は、彼を描くに当たって、彼の中心にあるものをはっきりと伝えたかったのだと思う」と馬場さんは話した。
筆者は、後藤さんとの出会い、やりとりしたメールの一部などを紹介した。冬季オリンピックを前にした2014年、シリアから届いたメールには、「無垢(むく)の市民が無慈悲で人為的な一瞬の大爆発で人生を変えられてしまうのを目の当たりにすると、いいようのない怒りの感情が生まれます。オリンピックが始まりますが、彼らも家族や恋人、友人たちと一喜一憂したいはずです。でも、できない。電気がないから、家族と離れて暮らしているから、配給に並ばなくてはならないから、職探しで必死だから・・・。彼らと共に平和を祈る―彼らに寄り添いたいと思います。同じ時代に生きているのですから」とあったことを伝えると、その言葉の一つ一つにうなずく参加者の姿が見られた。
また、後藤さんが大阪市内の小学校で国際理解に関する授業をしていたときの様子を、当時の写真と共に馬場さんが紹介した。そこには、子どもたちと熱心に話をしている後藤さんの姿が写っていた。「子どもたちの中に一人、障がいのある子どもがいた。授業が終わると、後藤さんは、わざわざ教室まで戻って、その子を探しに行った。そして、その子を見つけると、何か話をしていたようだ。後藤さんって、そういう人。いつも、弱い人が必ず目の中に入っているのだと思う」と馬場さんは話した。
インタビュー取材に関して筆者が相談した際に、後藤さんから届いたメールを紹介した。「実際に会うことはなくても、その人たちを思って祈る。こうした共通の時間を過ごしていくことで、ついには相手の家族や周囲の人たちに認識されるようになってくる。まれに、彼らの人生に関わり合い、犠牲を払うこともあるでしょう」
その「犠牲」とは、彼にとってどんな意味があったのか、今となっては知る由もない。天国から、いまだ混迷する中東諸国を見て、何を思うのだろうかと、会場を訪れた人々と共に思いを巡らした。
最後に馬場さんは、「後藤さんは、一粒の麦となって、この世の人生を全うしたのだと思う。これからも劇の上演を通して、彼のことを少しでも伝えていきたいと思っている。どうかこの事件を忘れず、皆さんも伝えていってほしい」とあいさつした。
公演後、トークライブを見た観客からは、「まるで、後藤さんがそこにいて、照れながら、お証しをしているようだった」「テレビでしか見たことのない後藤さんだったが、少し後藤さんのことを知ることができてよかった」などといった感想が寄せられた。
音楽劇を主催する桜人企画には、東京近郊での上演を望む声が多く寄せられている。馬場さんによると、「現在、会場などの選定も含め、実現に向けて模索中」とのこと。