太田市には、教団の牧師会で、アジア宣教会で、一人旅でと、計三回訪れた。この町には、生駒聖書学院の創立者L.W.クート師によって一九六一年に創設された、太田聖書学院があった。過去形で書くのは、教団併合により、現在はある長老教会教団の牧会研修所になっているからだ。
クート師には五人の子どもがいた。生駒聖書学院が創設されて間がないころ、三歳になる末娘アナジョイが、毒が塗られたパンを食べ、もがき苦しんで死ぬという事件が起こった。警察は詳しく調べもせず、解剖もせず、不注意の事故ということで処理された。後になって分かったことだが、実際は生駒聖書学院が開校されたことを不快に思った者が、ある韓国人に命令して毒を塗らせたのだった。愛児は帰らず、クート師の胸の奥に深いしこりとなって残っていた。
戦後になって聖書学院が再開され、大阪救霊会館も建設された。ちょうど私が生駒に来たころ、韓国に聖書学院を建てるビジョンが具体化していた。赦しの愛のしるしとして韓国太田市に建つ聖書学院は、幼くして召されたアナジョイの記念碑であった。その後、愛妻の召された記念として、同じ市内に太田救霊会館が建設され、クート師亡き後もその働きは継続している。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)と十字架上で祈った主の祈りは、今もなお受け継がれ、多くの愛の赦しの流れは続いていくのだ。
その後、先に記したアメリカ行きや、シベリヤやモスクワへの宣教、スウェーデンやイギリスへの訪問など、海外への門戸は次第に大きく開かれ続けた。
(C)マルコーシュ・パブリケーション
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。(Amazon:天の虫けら)