速谷幸子さんは、中学卒業と同時に、筋ジストロフィーを発症し、歩けなくなった。たまたまラジオ放送「希望の声」を聴いた従姉妹の伊都美さんが、彼女にも紹介してくれて、彼女も毎週聴くようになった。そして不自由な体で、私に手紙をくれた。私も返事を書き、何度も手紙を交わすようになった。
一九七六年五月のある日、聴取者訪問で淡路島を訪れた私は、彼女に会いにいった。私が十字架の救いを伝えると、彼女はイエス・キリストを心に迎え、信じてくれた。
それから八ヵ月後の一月三十一日、彼女は「お母さん。ありがとう。とってもきれな所が・・・見える・・・早く・・・早く・・・」と、不自由な手を天に伸べつつ召された。お母さんは「幸子はイエス様の天国を見、そこへ行ったんですね」と私に知らせてくれた。だれも閉じることのできない救いの門が、彼女の前に開かれていたのである。
社会党の弁護士、三木善雄氏は五十四歳でガンになった。ちょうど二期目の当選を果たしたばかりだった。入院中に「希望の声」を聞き、「本物をつかんだよ」と微笑みつつ、天国に召された。
ラジオ放送「希望の声」が、文字どおり多くの魂に希望を与えていることを知る時、聖書は単なる書物ではないと強く思う。主が語られたように、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口からでる一つ一つのことばによる」(マタイ4:4)ことがよく理解できる。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。(Amazon:天の虫けら)