「主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表わすことは。十弦の琴や六弦の琴、それに立琴によるたえなる調べに合わせて。主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。まぬけ者は知らず、愚か者にはこれがわかりません」(詩篇92編1~6節)
2015年が始まりました。新しい年も神様が共にいてくださいますから、神様の御言葉を土台として、神様から与えられた恵みの一年として歩んでまいりましょう。
まだまだ地方においては、不況から抜け出せない閉塞感が心の内を支配しています。こんなときだからこそ、私たちの心の内の喜びの原因をなくしてはなりません。今年の信仰のテーマは「Thankful(サンクフル)!いつも感謝!」です。世間一般では、人生の処世訓や道徳、知恵として感謝の心を忘れてはいけないといいます。しかし、クリスチャンである私たちは、神様を見上げる信仰の中で感謝するのです。
では、2015年を歩んでいく中で、私たちの日々の思いが喜んで感謝できるようになるためには、心や魂にとって何が大切かを考えてみましょう。
1. 心や魂にとって「良い事」を選び取る
人々は、体の健康のためには食事や運動に気を配りますが、心や魂にとって良い事についてはあまり口にしません。また、「正論」や「良い事」を口にできない風潮があります。それどころか、他人のあら捜しや批判や攻撃であふれています。教育現場でさえ、価値観の押し付けだとか個人を尊重していないと批判されて、道徳や倫理教育などで良い事を教えるのが難しくなり、先生方は危惧しています。
しかし聖書には、救われるための神の御言葉が語られています。神に感謝すること、へりくだること、罪を悔い改め人々を愛すること、励まし合うこと、受けるよりも与えること、いつも喜び絶えず祈りすべてのことに感謝すること。心と魂に良い事がたくさん書かれています。「主に感謝するのは、良いことです」。詩篇107:1、118:1、136:1にあるように、詩篇の作者は祈りのはじめに「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い」と繰り返しています。「いつくしみ」とは、愛の深さ、あわれみ、同情、恵み豊かという意味です。そこには、神様の深い洞察があります。親の子に対する過保護の愛ではなく、私たちの弱さ足りなさをしっかりと見通した上で私たちを愛し、私たちに最善のものを与えてくださいます。心を注ぎ出して祈るとき、つらく悲しい状況で、ため息や涙が出るときもあります。しかし、神様からいただいている恵みはそれ以上であることを素直に認めて、神様は今も私たちを愛して導き、さらに大きな永遠の命の約束までも与えてくださっていることに感謝しましょう。
2. 「良い事」を常に意識し、恵みを数える
聖書の言う「愚か者」(詩篇92:6)とは、学歴や偏差値の低い者ではなく、神様からの恵みを数えられない者のことです。私たちは放っておくと、罪深いことや欲望に振り回されます。気を付けましょう。手帳の片隅、日記や、教会のカレンダーの今日の一コマにでも、今日の恵み、感謝すべきことを書き留めて喜ぶ者になりましょう。そうすれば、神の恵みを真っ先に引き寄せることができます。それによって、私たち自身だけでなく、周りの人々も祝福されるのです。そして、一年の終わりには、あふれるほど感謝することを持っている私たちでありたいと思います。
◇
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。