スポーツは宗教に代わるえるほど、多くの共通点があると、英オックスフォード大学の神学者は述べている。
リージェンツ・パーク・カレッジの校長も務めるロブ・エリス博士は、バプテスト宣教師会(BMS)のイベント「カタリスト・ライブ」の講演で、スポーツを観戦したい人の数が「巨大な上昇」にある一方、教会に通う人の数は減少傾向にあると述べた。
「組織化された宗教が人々の想像力を奪い、宗教本来の意義を失うにつれて、スポーツも含めた他のものが人々の空虚感を埋めるようになってきました」 とエリス氏は語った。
この傾向は19世紀初頭から始まった。当初、諸教会やYMCAのようなキリスト教団体は、このような傾向に抵抗していたが、次第に関心の高まりに乗じていくようになった。
エリス氏は500人のスポーツ観戦者に対し調査を実施。観客たちがスポーツに対しどう感じるか、またなぜスポーツが彼らにとって重要なのかを探り出そうとした。
「スポーツが自分たちの生活の中心的な存在であると語った多くの人にとって、スポーツが彼ら自身の性格やアイデンティティーを形成することに役立っていました。スポーツと畏敬の念を持つことなどの間には関係がありました。スポーツは彼らの人生に活力を与え、礼拝生活にとって代わるものとなったのです」と、エリス氏は述べた。
一方、エリス氏は、観客にとっては勝利が全てであるが、はっきりと分からないかもしれないが、選手たちにとっては「勝利以上のもの」がある、という観客とは別の視点を持っていると語った。
エリス氏はスポーツと宗教の関係性を指摘し、こう述べた。「競争を伴うスポーツは、私たちに可能な限りベストを目指したいという願望を持たせます。オリンピックのモットー『より速く、より高く、より強く』は、まさに到達していくことへの強い思いを物語っています。人間というのは、常に自分たちの限界を越えたいという生き物です」
「われわれ人間は、可能性を秘めた力強い生き物です。スポーツは、常に上を目指していくこと、また常に外を目指していくことを伴うものです。私たちは、完璧さから逃げる時間を探し、いつも何かを越えていくことに注意を向けています。スポーツには、最高の瞬間が常に近くに待ち受けているのです」
調査に回答した観客は、スポーツがいかに他人との絆を強くするかという点についても話した。ある人は、スポーツを観戦することは「最も完全に生きている感じ」と言い、友人らにも来るように勧め、経験を共有するだろうと回答した。
「観客席で歌ってチームを応援する人々は、神に賛美をしているわけではないが、確かに彼らも何らかの形で参加しているのです」とエリス氏。また同氏は、自分では6つのヒットを打つことができない観客たちは、選手たちに自分の身代わりとなってもらうことで、その願いを達成できるということも指摘した。