昨日は、子どもの学校の運動会で丸一日お手伝いをさせて頂き、長い一日が終わりました。PTAの本部役員、運動会お手伝い班のみなさんも疲れたと思いますが、生徒、教員一人一人はさぞ大変な一日だったと思います。私は、終日、来賓のご案内係と競技の実況司会、準備と後片付けなどをぶっ続けで行い、昼食の15分以外ほぼ立ちっぱなしでしたので、力を使い尽くしました。
日本は、一緒に何かをするのが得意だと思います。昔は、こういう日本の文化が煩わしくて、欧米の文化の個人主義に憧れていました。二十代でアメリカに留学をし、憧れていた西洋文化の中で生活をしました。「日本の常識、世界の非常識。日本の非常識、世界の常識」と言われますが、日本とアメリカのそれぞれにいい面と悪い面があると感じました。
さらに、留学を終えて、帰国して感じたのは、理屈ではなく、私には日本が一番合っていると感じました。それ以来、日本の中に嫌な部分があるにもかかわらず、日本が大好きになりました。私にとって外国留学は、深い意味があったと思います。
私が日本を好きでいられるのは、もう一つの国籍を持っているからです。天国です。私は毎日、祈りを通して天国を味わっています。天国を通して日本を見たら、全てが輝いて見えます。
本来の私は、めんどくさがり屋で、PTAのために一日を使うなんて、時間とエネルギーの浪費としか感じないと思います。しかし、天国を通してPTA活動を見ると、神様から与えられた使命だと感じます。天国は私を生まれ変わらせ、祝福を与えて下さいました。
先日、コラムで話題にしたビル・ウィルソン牧師は、「目の前の必要が召命だ」と語りました。「目の前に、何かを必要としている人がいて、その必要が自分を通して満たせるなら、100%召しと思いなさい!」ということです。
ある人は、目の前に必要があっても、「神様に祈ってみます」と言って、即答してくれないことがあります。もちろん、何かを決断する時に祈って決めることは大切です。私も講演や音楽の仕事を頼まれた時、即答しないで、必ず祈ってから引き受けることにしています。時には、断ってしまうこともあります。神様がその働きのために私を必要としておられるのかを確認したいからです。
しかし、今目の前で助けを求めている人がいて、助けたらその人の命が助かるのにまず「祈ってみます!」というのは、祈っているのではなく、自分で自問自答をし、損得や自分の身を案じているだけなのかも知れません。天国を通して見たら、目の前に必要を求める人がいて、その必要が自分を通して満たすことができるなら、そこに「はい神様!」と言って仕えることが、神に仕える道だと信じます。
人は、神に愛され、人を愛し、神に仕えるために造られ、この世に生まれて来たのです。今、あなたに神からの召命(使命)が与えられていませんか。
一週間お疲れ様でした。
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菅野直基(かんの・なおき)
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッション等、地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での讃美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式等、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
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