日本キリスト改革派教会が、安倍晋三首相が靖国神社を参拝したことについて抗議する声明を発表した。
同声明は同教団と代表役員・大会議長吉田隆氏の連名によって発表されており、抗議する理由として首相の靖国参拝が戦後日本が築き上げてきた和解の努力を破壊すること、政教分離に反して信教の自由を脅かしかねないことを挙げている。
以下、声明全文。
1.内閣総理大臣の靖国神社参拝は、正当化の論理如何にかかわらず、かつて日本が侵略行為を行ったアジア諸国の人々の心を踏みにじり、結果として戦後日本が築き上げてきた和解の努力とその成果を自ら破壊する行為です。
靖国神社は、「大日本帝国」時代の戦死者を祀る宗教施設であり、侵略戦争の指導者達をも「神」として祀る特別な神社です。中韓との関係が悪化し、東アジア地域の緊張関係が高まりつつある昨今、憲法改正を政治目標とする安倍首相が、あえてこの時期に靖国神社に参拝するという行為は、結果として過去の侵略戦争を肯定し、その歴史を美化しようとする国粋主義的行為であるとみなされます。この評価は、必然的に従軍慰安婦問題や靖国神社のA級戦犯合祀問題などと結びつきながら、中国や韓国など被害国である東アジア諸国をこえて、アメリカやイギリスといった「連合国」の国々に対してさえ、日本への警戒心を醸成することになります。
実際、今回の安倍首相靖国参拝に対する批判が、中国や韓国とともに英国や米国、そしてロシアや EU、ASEAN、ユダヤ系団体等から湧きあがり、国際的にも大きくひろがりつつあります。
安倍首相は、参拝後の談話(26日)において、「中国や韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、全くありません」と語りました。しかし、かつて日本の侵略によって大きな被害を受けたアジア諸国の人々が、靖国参拝に強く反対している中での参拝強行は、彼らの心を踏みにじり、和解を破壊する行為であることは明らかです。「傷つけるつもりはない」との安倍首相の談話は、到底、国際社会に理解されるものではありません。
日本は、アジア・太平洋戦争に敗北した後、その戦争への反省から日本国憲法を定め、第9条によって戦争を放棄し、近隣諸国と和解をめざす平和国家としての道を歩んできました。安倍首相による靖国神社の参拝は、このような日本国憲法体制下に蓄積されてきた戦後の「和解の遺産」を損壊し、結果として著しい国益の喪失をもたらす愚かな行為であるといわなくてはなりません。
2.首相が、かつて国家神道の宗教施設であり、戦死者を英霊として祀る靖国神社に参拝することは、政教分離という憲法原則を大きく踏みにじり、国民の信教の自由を脅かしかねない行為です。
靖国神社は、明治維新以降、戦死者を祀るために設置運営されてきた国家神道の宗教施設です。この靖国神社は、現在でも、先のアジア・太平洋戦争を「聖戦」と主張し、戦死者を英霊として顕彰し続けている特異な宗教施設です。
よく知られているように、日本国憲法における第20条3項(政教分離の原則)は、この戦死者を祀る靖国神社の国家神道という宗教が侵略戦争において果たした凄まじい精神的な暴力に対する深い反省から設けられました。国民は、神道のような特定の宗教を強制されることなく、それぞれ自分の宗教を信じる自由、すなわち信教の自由が保障されなければなりません。そうであるが故に、国政をあずかる者は、靖国神社という宗教施設でおこなう特定の宗教行為に対して、政教分離の原則に忠実に行動すべきです。そのことは、これまでも私たちが繰り返し抗議の中で指摘してきた通りです。
安倍首相は、靖国神社への参拝目的を、「御英霊に、政権一年の歩みと、二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの無い時代を創るとの決意を、お伝えするため」(26日首相談話)と語っています。しかし、国政の最高責任者である内閣総理大臣の立場で靖国神社に参拝する、という行為は、必然的に公的な意味を持つことになります。ましてや、安倍首相は、これまで政権一年の歩みの中で一連の「解釈改憲」的諸政策を推進し、戦争可能な国家を作り出そうとしてきました。参拝目的として語る内容がこれまでの一連の強硬な政治姿勢や行動と大きくずれていることは、その「目的」の真の意味が別のところにあるのではないかという疑義の念を、多くの人々に抱かせます。
以上の理由により、私たちは、安倍首相が、憲法改正を目標として政権運営を行い、特定秘密保護法を強行採決し、日本国憲法体制を換骨奪胎することによって日本国を戦争可能な国家へと変貌させようとする一連の政策と共に、12月26日に行った靖国神社への参拝に対し、強く、声を大にして、抗議します。