もしモーセと預言者との教えに耳をかたむけないなら
ルカの福音書16章19~31節
[1]序
今回はルカの福音書16章19節から最後までの箇所を見て行きます。この記事はルカの福音書にだけ記されているものです。
直前の14節から18節の部分に示されている、「律法と預言者」(16節)の確かさについての教えと結ばれている事実(31節)を注意。
[2]二人の人物の違いと同じ点
(1)違い
①ある金持ちの様子
「いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた」(19節)。
②ラザロの様子
16章20、21節、「ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた」。
(2)同じ点
ラザロばかりでなく、「金持ちも死んで葬られた」(22節)。
[3]死を越えて
(1)中心点、聖書を通して教えられている神の教えに耳を傾ける必要(31節)
聖書はどんな奇跡より確かなものとして与えられている事実が明らかにされています。
(2)地上の生命が生活の大切
地上のそれがいかに解決のないものに見えても、ラザロの場合のように、「慰め」(25節)の道。また金持ちの場合も地上での生活と死後のあり方の深い関係を示しています。
(3)今、与えられている聖書に聞き従う道の大切さを明示
[4]結び
(1)地上での生活を大切にするように教えられます。
(2)この地上で回答の見いだされない事態についても、「慰め」を約束されています。
(3)今、聖書の与えられている意味。
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。