胎内で子どもが喜んで
ルカ1章39~45節
[1]序
今回味わうルカ1章39~45節も印象深い箇所です。神の恵みによりそれぞれ役割を与えられ母となる二人の婦人、エリサベツとマリヤの出会いの記事です。
マリヤがエリサベツを訪問し、二人がそれぞれに与えられらた恵みを知り、それを比較することにより神の恵みをさらに深く理解し信仰を増し加えられていく様子を見ます。
[2]「子が胎内でおどり」
(1)「エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子どもが胎内でおどり」(41節)と記されています。エリサベツも、「ほんとうに、あなたのあいさつの声が私の耳にはいったとき、私の胎内で子どもが喜んでおどりました」(44節)と、エリサベツのことばで繰り返し胎児ヨハネの喜びが重視されています。
人間の生涯にとって幼児期が大切であると言われます。聖書でも、幼児や乳児が主なる神の御前に大切にされています。彼らのくちびるに神への賛美が備えられていることを教えられます(詩篇8篇2節、マタイ21章15、16節)。そして聖書ではさらに胎児についても注意がそそがれています。たとえば、詩篇139篇15、16節では、「私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ」と記されています。またイザヤ46章3節では、生ける神のイスラエルに対する愛を、「わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。」と表現しています。
このルカ1章39~45節でも胎内ヨハネが主イエスを認め胎児らしい方法で信仰を示している様を描いています。それは、マタイ3章14、15節やヨハネ1章24~34節に見るヨハネが主イエスを指し示している場合と同様、先駆者ヨハネが使命を果たしていると見ることができます。幼児については言うまでもなく、胎児についても、信仰の面を含めて全人格的に十分な配慮を払うべきと教えられないでしょうか。
(2)「エリサベツは聖霊に満たされた」(41節)。エリサベツは聖霊ご自身の導きにより、42~45節に記されているように神の恵みを洞察し的確に言い表しています。エリサベツはマリヤに対して、「あなたは女の中の祝福された方」と、マリヤの祝福について述べています。しかもマリヤの祝福が、「(というのは)あなたの胎の実も祝福されています」と、主イエスによって与えられるものであることを指摘しています。この点は、マリヤを、「私の主(主イエス・キリスト)の母」(43節)と呼んでいることからも明らかです。同時にマリヤの信仰の故に彼女をたたえています。マリヤ自身を極度にたたえて神の栄光を曇らせるようなことはしていないのです。
[3]「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人」
(1)エリサベツがマリヤの祝福について述べるにあたり、その祝福の源が主イエスご自身であることを示しているのを見ました。それと共に祝福を受け止めるマリヤの信仰についても、「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう」とたたえています。神のことばは必ず実現すると神の真実を信じるマリヤの信仰。
(2)マリヤの信仰、その幸いについてのエリサベツのことばは、ルカ11章27、28節の記事と比較する必要があります。
「群衆の中から、ひとりの女が声を張り上げてイエスに言った。『あなたを産んだ腹、あなたがすった乳房は幸いです』」。このマリヤについてのことばに対して、主イエスの答えに注目したいのです。
「いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」
マリヤの幸いはどこにあるのでしょうか。神のことばは必ず実現すると信じきった信仰こそ、マリヤの幸いです。そしてこのマリヤの幸いは彼女だけのものではなく、彼女のように神のことばを信じる信仰に生きるキリスト者・教会の幸いでもあると教えられます。マリヤは、キリスト者・教会のあるべき姿を示しています。人間にとって聖霊ご自身の助けによりこの信仰を与えられることが何よりの幸いです。
[4]結び
(1)胎児に対しても。私たちは幼児に対してばかりでなく、胎児に対してもどのような態度を取るべきか、今回の聖書箇所を通して教えられないでしょうか。胎児に目を注ぎ、胎児の声を聞く態度です。また胎児への働きかけが大切であることについても。
(2)出会い、交わり、励まし。マリヤとエリサベツの出会い、二人の交わり、それを通してさらに主の祝福が明らかにされ信仰が増し加えられていく様を通して、私たちの信仰の交わり、互いの励ましが大切であることを教えられます。
(3)信仰の賜物。主なる神が私たちに与えてくださる恵みの賜物としての信仰。聖霊ご自身の導きにより神のことばを信じる信仰を与えられていることはいかに幸いなことでしょうか。
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。