第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因
Ⅰ.世俗的価値観
B.世俗的価値観を構成する恐るべき諸要素
1)行き過ぎた現実主義、現象主義
i)ウルトラ良い子A君の場合
A君の両親は、両親ともいわゆる一流大学出で、父親は一部上場企業のエリート・サラリーマンでした。まだ40代前半でしたが、既に部長職についていました。母親はと言えば、彼女もなかなかの才女で、高級婦人服の店を経営していました。その事業も年々歳々業績を伸ばし、スタッフも増え、都内の目抜きの場所に3店舗を構えるほどになりました。A君には2歳年下の妹B子がいましたが、なかなか両親ゆずりで、なんでもテキパキとこなし、まだ中学3年生でしたが、大人顔負けの負けず嫌いの頑張り屋でした。両親は、このような彼女の成長ぶりを見て常に目を細め喜ぶと同時に、兄のA君の一向にうだつの上がらないことを深く嘆き、しばしば溜息交じりにこう言ったものでした。
「世の中うまくいかないものだなあ。Aが妹でB子が兄だったら、どんなに良かったか知れない」と。既にこの頃、A君は不登校を引き起こし、学校に行けないばかりか、自分の部屋に引きこもり、テレビとパソコンだけにのめり込み、トイレ以外には自室から一歩も出ることなく、食事も部屋に差し入れしてもらい、家族が自室に入ることも断じて許さず、日々昼夜逆転の生活を送っていました。両親がそれを咎めて忠告したり、片付けようと立ち入ろうものなら、それこそ大声を上げて暴れ出し、殺傷事件が起こらんばかりとなりました。その体躯は、既に高校2年生ともなり、しかも人並みより大きく、さすがの父親ももはや力ずくではいかんともし難くなってしまっていました。
こうした中から困り果てた両親は、数カ所の病院、相談所等を巡った末、ある方の紹介で小僕のところに来られたのでしたが、いろいろ詳細な経緯を伺い、相談を受けているうちにはっきりと浮かび上がってきたことは、このA君が既にお互いが学んできたような典型的ウルトラ良い子であったにもかかわらず、そのA君の素晴らしいウルトラ感性や特質を理解できなかった両親が、悲しいかな彼の内心の美しい動機や優しい心の動きを読み取ることが出来ず、彼の純粋な思いを無視して、ただ今為した行為やその結果だけを重視し、その外見上の現実と現象だけを判断基準に、幼い頃より彼を厳しく裁き続けてきたという事実でした。これが徐々に彼の自尊心を傷つけ、心にひどく抑圧を与え、更には大きなトラウマとなり、ついには今日の彼の異常心理、異常行動を引き起こさせてしまっていたのでした。それこそが、行き過ぎた現実主義とか現象主義、外見主義の弊害と言わざるを得ません。(続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。