今日の聖書箇所は、おなじみのルカによるイエス・キリストの誕生物語です。考えようによっては、聖霊により処女が妊娠、身重の妻を連れての旅、宿屋もなく家畜小屋での出産、赤ちゃんは飼い葉桶…、二度とこんな旅はしたくないと言うこともできます。しかし、イエスの誕生の物語をどのように受け止めるべきか、御使いによって語られています。「この民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来た」。
1.恐れや不安ではなく喜びと恵み
羊飼いは、天使に怯えました。権威ある人が現れるとしばしば、社会の底辺で生きる人々は、男は殺され女子供や財産は奪われたような時代です。また、神様と言えば、何かをしなければ祟ったり呪ったりという考えが一般的です。
しかし、救い主イエスは、寝るまもなく人々に神の愛を語り、悪霊を追い出し病をいやし、私たちの罪を全部背負って、十字架にまでかかって死んで下さいました。私たちが何かをしなければならないのではなく、私たちに命を下さった救い主がおられます。私たちにはその福音が与えられているのであり、不安になる必要はありません。
イエスの誕生により、私たちはのびのびと喜んで歩むことができるのです。
2.祝福と恵みを与えて下さる救い主
私が大学生だった頃、突然美しい女性の声でアポイントの電話がかかり、「おめでとうございます!当選しました!」と言われ、出かけていくと単なる英語の教材のセールスでした。お金を払うのは私という、私にとって全然おめでたくない話。
でも、天の御使いは違います。自分の都合に合わせた「おめでとう」ではなく、本当に私たちのための救い主が生まれたという知らせです。御子イエス・キリストの命さえ私たちに与える愛の神は、奪うのではなく、恵みと救いを与える神です。
3.寄り添って下さることを決意した救い主
救い主、主の主は王として来られることを当時の人も期待していました。しかし、救い主イエスは、脚光を浴び、宮殿で生まれたのではなく、馬や牛のえさ箱をゆりかごとされました。救い主なる神は、私たちを支配するのではなく、私たちと同じ目線以下にへりくだって来られ、イエスはすぐそばにいて下さるのです。私たちは、自分が選挙で選んだ議員さんに会うのも簡単ではありません。しかしイエスは、私たちととことん共にいて下さいます。
その後、15-16節で、羊飼いたちは、御使いの言葉を聞いて出かけて行き、救い主を探し当てました。それを他人ごとで終わらせず、自分たちのものにしたのです。
クリスマスの解釈を間違ってはいけません。それは、私たちみんなにとって、すばらしい喜びの知らせなのです。自分自身で、救い主をちゃんと見いだしておきましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。