だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」(マタイの福音書7章24節〜27節参照)
2007年の後半の日々が始まりました。クリスチャンの歩みはちゃんと土台があり、芯があり根っこがあり少々のことでは揺らぐことがありません。
北海道の、名前だけは格好いいミートホープ社。しかし中身は偽装だらけでした。また、朝鮮総連の本部ビルの売却にからむ問題では、報道されていること以外に、裏の方では様々な思惑が働いていると思わされます。
こういう時代だからこそ、私たちはすばらしい神の言葉、御言葉によって生きる価値のある人生を与えられていることを、心から感謝したいと思うのです。
この聖書箇所で、イエス様はご自分の語られる御言葉を人生の土台とし、それを行なう者は祝福されると語られました。
キリストの言葉を人生の土台とする中で、私たちは人生に本当によい実を実らせることができます。神の御言葉は単なる座右の銘や、スローガン、モットーではなく、命の土台であり私たちの人生そのものの中心なのです。
第1.人生の試練と人生の土台との関係
クリスチャンになったから人生の苦しみや悲しみが全く無くなってしまうとは、聖書にも約束されていません。
岩の上に家を建てた人も、砂の上に家を建てた人も、そこで起こっている事態は同じです。現代は確かに変化の激しい時代で、悩みや問題もたくさん起こります。でもそういう状況の中でも祝福を与えられて守られていくのがクリスチャン生活なのです。問題や悩みが全部無くなるのが、私たちの求めている信仰生活ではありません。
最近、危険と見なされた遊具が、どんどん公園から取り除かれています。しかし、遊具で遊ばない子供たちの運動能力は極端に低下し、すぐにこけるし、けがをする。大変な事態です。将来はもっとひどいことになりそうです。
信仰生活は、単に神様に過保護にしてもらい、ひ弱な信仰者として、守られて生活することではありません。
どんなに過保護に育てられた子供でも、最後は世の中に出ていって厳しい社会の中で暮らさなければならないのと同じように、クリスチャン生活も、雨風のない生活が幸せなのではありません。どのような状況の中でも平安、喜び、感謝がなくならないというのが本当のクリスチャン生活であり、クリスチャンの強さです。
問題はたとえそこにあっても土台が強いから揺らぐことはないというところにクリスチャンの本当の強さがあります。
第2.あなたの土台はどちらですか
あなたの土台はいったい何ですか。
岩の上に家を建てたといえる人生ですか、砂の上に建てたという人生ですか。イエスは、あなたの人生はどちらであるか、選びなさいと言われているのです。同じように確かに試練や問題もある、私たちの人生です。しかし、土台がどちらかであるかで、結果は大違いです。
岩の上に建てるとは何でしょうか。イエスのお言葉を聞いてそれを実行する。すなわち、本当に神との接点を人生の中に持っていることです。神のお言葉を自分の土台としているか。そのことが人生に大きな差を生むのです。
砂の上では家は簡単に建てられるでしょうが、土台の差が、結果の大きな差を生み出すのです。
クリスチャンであろうとなかろうと、同じような事態に直面するでしょう。しかし、問題や試練にもびくともしない平安を貫き通す人生、喜びと感謝が溢れていく人生もあれば、人生そのものが崩壊してしまうような人生さえ起こりえます。
神の御言葉を土台として接点をもち、神の御心、御言葉を行なうかどうかです。
試練と土台のことを考えてみましょう。あなたの土台はどっちですか。
このメッセージをただ知識として聞くだけでは、何も変わりません。大切なことは、あなたに与えられた神の御言葉があなたの心に本当に響いているかどうかです。
神の御言葉を土台とするなら、神の御業は現わされるのです。人生の試練と土台との関係を知り、私たちは土台を選ばなければなりません。私たちの選ぶ土台によって、人生の成り行きが変わるのです。そして、私たちが選び取りたいのは、祝福され、恵まれた人生です。そのためにはイエスの御言葉が私たちの人生の土台でなければなりません。そしてひとりひとりの心に響く御言葉が必要なのです。
今、自分のうちに響く御言葉がありますか?あなたに第1テモテ1章15節の御言葉をプレゼントします。「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」この言葉を受け入れるとき、弱々しい罪人である私たちの人生の中に、イエスの救いの御業が明確に現わされます。
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万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など、多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。