このところビジネスや宣教で韓国に行く機会がふえました。ソウルの街には、映画俳優やテレビタレントのように、目鼻立ちが美しく整った若い人がたくさんいます。なんと、韓国の若い女性の半数が整形しているそうです。男性も整形する人がふえているそうです。
よく見ると、みんな似たような顔つきに見えます。そのうち、なにか不自然なものを感じてきます。「整形美人」という仮面をしているという不自然さです。この人はすごく奇麗だけど、きっと整形しているに違いない。この人の素顔はどうなんだろうか? この人が結婚して生まれてくる子どもは、どんな顔をしているんだろうか? と、変なことが気になったります。
あなたは人の目を意識しすぎていませんか。人の評価を気にしすぎていませんか。人との競争心を動機として生きていませんか。そうすると、「こうしなければならない」とか「こうあらねばならない」という外側の律法に縛られてしまいます。いつの間にか本来の「あるがままの自分という実像」ではない、自分で勝手にこしらえた「あるべき自分という虚像」を頑張って演じ続けなければならなくなってしまいます。いつかは行き詰まり、燃え尽きてしまうことになりかねません。
「クリスチャンだからこうしなければならない」とか、「リーダーはこうあるべきだ」という議論はすべて、外から人を縛り付ける律法になりかねません。
確かに、「ねばならぬ」という律法は正しいのですが、律法そのものは、あなたにそれを実行する力(いのち)を与えてくれません。ですから、「ねばならぬ」を頑張って実行しようとすればするほど、仮面の自分を演じることになり、内面の愛と喜びと平安を失っていきます。最後は、「ねばならぬ」という律法によって人を裁き、同じ律法によって自分も裁かれてしまうのです。
聖書は、「あるがままのあなたが一番いいんだよ!」と語っています。なぜなら、神は、最高の傑作として個性ある「あるがままのあなた」を造ってくださったからです。神の目には、神を信じている「あるがままのあなた」が最も高価で尊いのです。「あるがままのあなた」が、世の光として輝き、地の塩として役に立つことが神の目的です。
ですから、いつも神の愛の御手の中でゆったりとリラックスして、本来の「あるがままのあなた」に戻りましょう。
イエスは十字架の上で、一切の「ねばならぬ」から、あなたを解放してくださったからです。肩の力を抜いて、自然体でもっと自由に、喜んで生き生きと生きるようにしましょう。それは決して、欲望の赴くままに生きるとか、怠けて状況に流されていくということではありません。
なぜなら、聖書によれば、「あなたの心には神の律法が刻み込まれている」からです。あなたの中に生きて働いておられる愛の律法であるイエスが、「こうしたい」、「こうありたい」という積極的な願望をあなたに与え、それを実現してくださるからです。
「あるがままのあなた」をイエスにゆだねて明け渡していくならば、あなたを通してイエスの栄光が輝き、イエスのみこころ(愛の律法)が行われていくのです。整形しなくても、神の愛に満たされていけば、あなたの素顔の個性は、喜んで、限りなく魅力的に輝いていきます。
ですから、「あるがままのあなたが一番いい!」のです。
佐々木満男(ささき・みつお)
国際弁護士。東京大学法学部卒、モナシュ大学法科大学院卒、法学修士(LL.M)。インターナショナルVIPクラブ(東京大学)顧問、ラブ・クリエーション(創造科学普及運動)会長。
■外部リンク:【ブログ】アブラハムささきの「ドントウォリー!」