~観光バスで洗礼式に~
ある時、17名の受洗者を奥多摩の秋川渓谷に連れて行って、洗礼式を行いました。Aさんは、相撲取りみたいな体格をしていましたので、浅瀬では全身を浸せないと思い、深みに連れ出して洗礼を授けようとしました。ところが、体を起こそうとした時、激流に呑まれて流され始めました。
さあ大変!
私は思い切り大声で、「主よ!」と叫びました。すると力が与えられましたので、この兄弟を追いかけ、衿首をむんずとつかんでぐいっと引き上げることができました。
洗礼式の後には前の晩に作っておいたごちそうをいただくことにしており、いつも参加人数以上の量を作っておきます。それでこの時も、ずいぶん余ってしまいました。
「皆さんの中で、力の強い人、この残った食事を持ち帰ってください」
皆、顔を見合わせながら、何やらボソボソ言い合っています。
「何しゃべってるの。早く運んでください」
すると、ある兄弟がにやっと笑って言いました。
「この中で一番力の強い人は、森本先生じゃないですか」
次の洗礼式までに、ドンと一気に二倍の受洗希望者が与えられるように祈ると、91年春、祈った通り二倍の34名が与えられました。それで、観光バスを借りて、奥多摩へと洗礼式に行くことにしました。運転は次男の志人がしてくれました。その後も、68名、87名と続きました。それで、さらに祈り求めました。
―主よ。今度は100名ください。そして観光バス二台を連ねて、洗礼式をしたいのです。―
万物の中で、人間だけが夢を見ることができます。神様は、「幻(夢)がなければ、民はほしいままにふるまう」(箴言29・8)とおっしゃっています。私の幻は間もなく叶えられ、93年7月には132名の洗礼者が与えられました。
しかしその前日、あいにく台風が上陸してしまいました。北千住の教会の婦人たちは、明日は必ず晴れると信じて、洗礼式の後にいただくごちそうの準備を始めました。だが、夜明けになってもまだ雨は止まず、風も激しく吹きつけてきます。そこへ、ある信徒から電話が入りました。
「秋川渓谷は黄色く濁っているし、増水していて危険です。こんな大雨ですし、洗礼式どころじゃありません」
私は、受話器を置くなり神様に尋ねました。
― 主よ。どうしますか。―
すると神様は、インスピレーションを与えてくださり、「温泉」という言葉をくださいました。
(そうだ。山谷の人たちは何年もお風呂に入っていない。温泉に入れてあげたら、長年の垢が全部落ちないまでも、どんなに喜ぶだろう。これこそ私の念願だった)
栃木県鬼怒川の篭岩温泉には、露天風呂があるのを思い出しました。高速道路を二時間余り走れば、もう栃木県です。やがて、大きな広い川が見えてきました。
「先生。ここに川がありますよ。洗礼式やりましょう」と、皆口々に言いだしました。
「まだ、まだ。ここはだめ。神様が、降りなさいとはおっしゃってない」
さらに走っていきますと、運転していた志人が標識を見て、「ママ、この先に川があるようだけど、どうしますか」と聞く。
―主よ。どうしましょう。―
―ここで降りなさい。―
川は見あたらなかったのですが、主がそうおっしゃるのですから降りました。これが信仰です。たとえ見なくても、確信が与えられた時に従うなら、神は最高の恵みをくださいます。木立の間の道を五分程歩きますと、確かに川がありました。それも、格別美しく広い川が。前日までの大雨で、汚れが全部洗い流され、川底まで透き通っています。皆、大喜びでした。
清い水が流れ、聖霊の風がごうごうと木立を鳴らします。一同、神の豊かな臨在の中で、身が震える思いでした。
私は、132名の受洗者に二時間半費やして洗礼を授けました。一人ひとり水中に倒して起こすのですから、大変な力が必要でしたが、腕一本、指一本痛みませんでした。―主よ。もの足りないです。もっと受洗者をください。―と思わず叫びました。まさに、聖霊の力というほかありません。神様は信じる者を、このように絶大な力と愛とに満たして用いてくださいます。
洗礼式の後は、一同、温泉でくつろぎました。当初、教会の浴槽で洗礼を授けたこともありましたが、この時以来、この様な観光バスによる洗礼式が定着していきました(続きはこちら)。
================================================
(本文は森本春子牧師の許可を得、「愛の絶叫(一粒社)」から転載しています。)
森本春子(もりもと・はるこ)牧師の年譜
1929年 熊本県に生まれる。
1934年 福岡で再婚していた前父の養女となる。この頃、初めて教会学校に通い出す。
1944年 福岡高等簿記専門学校卒業。義母の故郷・釜山(韓国)に疎開。
1947年 1人暮らしを始め、行商生活に。
1947年 王継曽と結婚。ソウルに住み、三男二女の母となる。
1953年 朝鮮戦争終息後、孤児たちに炊出しを続け、17人を育てる。
1968年 ソウルに夫を残し、五児を連れて日本に帰る。
1969年 脳卒中で倒れた夫を日本に連れ帰る。夫を介護しながら日本聖書神学校入学。
1972年 同校卒業、善隣キリスト教会伝道師となる。山谷(東京都台東区)で、独立自給伝道を開始する。
1974年 夫の王継曽召天。
1977年 徳野次夫と再婚。広島平和教会と付属神学校と、山谷の教会を兼牧指導。
1978年 山谷に、聖川基督福音教会を献堂。
1979年 この頃から、カナダ、アメリカ、ドイツ、韓国、台湾、中国、ノルウェーなどに宣教。
1980年 北千住(東京都足立区)に、聖愛基督福音教会を献堂。
1992年 NHK総合テレビで山谷伝道を放映。「ロサンゼルス・タイムズ」「ノルウェー・タイムズ」等で報道され、欧米ほか150カ国でテレビ放映。
1994年 「シチズン・オブ・ザ・イヤー賞」受賞。
1998年 「よみがえりの祈祷館」献堂。
クリスチャントゥデイからのお願い
皆様のおかげで、クリスチャントゥデイは月間30~40万ページビュー(閲覧数)と、日本で最も多くの方に読まれるキリスト教オンラインメディアとして成長することができました。この日々の活動を支え、より充実した報道を実現するため、月額1000円からのサポーターを募集しています。お申し込みいただいた方には、もれなく全員に聖句をあしらったオリジナルエコバッグをプレゼントします。お支払いはクレジット決済で可能です。クレジットカード以外のお支払い方法、サポーターについての詳細はこちらをご覧ください。
人気記事ランキング
-
救世軍清瀬病院が来年3月末で閉院、診療は今年11月下旬めどに終了
-
いのちの言葉聖書学校が卒業式、5人が新たな歩みへ
-
韓国異端「新天地」の李萬熙総会長を逮捕、信者5万6千人を政党に強制入党させた疑い
-
Gゼロ時代の津波石碑(10)【久保有政氏に聞く】仏教とキリスト教のつながり(前半) 山崎純二
-
「ヘブライズムが世界を救う」 ジーザス・ジューン・フェスティバル2026、東京・新宿で6月29日
-
日ごとのパンを求めて―ジョージ・ミュラーの生涯(6)フランケの「孤児の家」
-
旧統一協会の解散命令が確定、最高裁「必要でやむを得ない」 特別抗告を棄却
-
日本キリスト教海外医療協力会、新会長に柳澤理子氏 椙山女学園大学教授
-
聖書から事実を引き出す学び「IBS」無料オンライン講座 7月4日から
-
ワールドミッションレポート(6月24日):メキシコ カルテルと伝統の狭間で─暴力に耐えるキリストの弟子たち
-
国旗損壊罪の創設に反対、日本キリスト教協議会が声明
-
救世軍清瀬病院が来年3月末で閉院、診療は今年11月下旬めどに終了
-
Gゼロ時代の津波石碑(10)【久保有政氏に聞く】仏教とキリスト教のつながり(前半) 山崎純二
-
旧統一協会の解散命令が確定、最高裁「必要でやむを得ない」 特別抗告を棄却
-
聖書原語への招き─霊に燃え、主に仕えるために(11)パン種の譬えで示す神の国 白畑司
-
神学の限界と突破口(5)第1章 主な論争と解決─「聖霊論」の論争 三谷和司
-
いのちの言葉聖書学校が卒業式、5人が新たな歩みへ
-
両足に6本の指持って生まれた少年、キリスト教慈善団体の医療支援受け走れるように
-
トランプ氏のイラン戦争と移民政策、福音派で評価二分 否定的回答が半数超える
-
「世界難民の日」 ワールド・ビジョンが8カ国で調査 子ども守る「自立」の重要性訴え
-
国旗損壊罪の創設に反対、日本キリスト教協議会が声明
-
米メガチャーチがビーチで洗礼式、過去最多の2552人が受洗
-
着工140年以上のサグラダ・ファミリア、主塔「イエスの塔」完成 NHKが特番
-
「聴く隣人のいるところ」 キリスト教高校の1年間が伝える「自由とは何か」問う大切さ
-
日本人に寄り添う福音宣教の扉(250)未信者とセカンドチャンスに潜む大きな課題 広田信也
-
神学の限界と突破口(4)第1章 主な論争と解決─「贖罪論」の論争 三谷和司
-
救世軍清瀬病院が来年3月末で閉院、診療は今年11月下旬めどに終了
-
戦後のキリスト教ブームの中で生まれた口語訳聖書、今にも生きるキリシタン時代の聖書訳
-
聖書全巻の翻訳、800言語で完成 飛躍的に加速する聖書翻訳
-
「祈りなくしてリバイバルは起こらない」 日本リバイバル同盟が創立30周年



















