クラストップの成績で卒業し、学級会長も務めていたデイヴィスは、その突拍子もない自分の夢について両親にきちんと伝えるまでは将来を期待されていた。
高校では優秀な成績を収めていたため、より優れた教育を求めて大学に進学するだろうと思われていた彼女は、進学の意思がないことを両親に伝え、孤児たちの存在を懸念して、ウガンダの郊外で役に立つことを決めた。そこからデイヴィスの一生の運命が決まったのだ。
初めにデイヴィスは1年間、ウガンダで何もせずただ生活する計画を立てて、同国の子どもたちに幼稚園で教わることを身振り手振りで教えた。高校が冬休み中の3週間で行ったこの短期旅行、そこから彼女の生涯の責務が生まれた。
「こんにちは。ケイティ・デイヴィスです。21歳でウガンダに住んでいます。私の仕事は14人の少女たちの母親の役割を果たすことです」と『700クラブ』のビデオインタビューで彼女は元気に挨拶した。
ウガンダで働いていたデイヴィスは、身寄りがなく希望を失っている一人の少女に出会った。デイヴィスは病院で子どものために祈りをささげて、孤児たちを訪ね始め、7歳と5歳の姉妹をたった一人で懸命に世話している9歳の少女に出会った。子どもたちには行くところがなく、デイヴィスは自分の暮らす家に一緒に住まわせた。
彼女は、「もし行くところがどこにもなければ私と一緒に住んだらいいわ。だって私には家があるんだから。当然のことなのよ」と説明した。
子どもたちの家族を捜したり、既に定員に達している孤児院を視察したりしながらデイヴィスは、自分こそが彼女たちが探していた家族なのだということを、神が教えて下さったと感じた。子どもたちの家族になる決意を固めるための祈りの最中に、一番年下の少女が自分を「マミー」と呼び始め、この出来事が活動を進展させるために一層デイヴィスを励ました。
23歳になる直前の現在、デイヴィスは14人の少女の母親になっている。しかし、ウガンダの法律では、25歳になるまでは公式に少女たちを養子に迎えることはできない。デイヴィスは現在、『キシーズ・フローム・ケイティ』という自著の中でインスピレーションの行路を紹介している。
デイヴィスは子どもたちへの思いやりを称賛され、彼女の物語は、米国では当然のように使われている便利なあらゆる設備が、ウガンダには皆無であることを身をもって体験することで、神との距離がより近くなったことを証ししている。また、広い視野が養われ、多くの状況が神や他の体験に左右されるということを学んだと語っている。