今日の聖書は、病人ラザロがイエスから特別な恵みをいただく物語です。マルタ、マリヤ、ラザロの姉弟は、エルサレムに程近いベタニヤに住んでおり、イエスと親しい関係にありました。ある時、恐らく弟であったラザロが、病気で死にかかったのです。姉のマルタとマリヤは使いをやってイエスを見つけ出し、すぐ来て欲しいと願います。しかし、イエスは知らせを聞いてから2日後に出発され、着いた時には、ラザロは死んで4日経っていました。マルタもマリヤもイエスのもとに来て、「もう少し早く来て下さっていたら、弟は死ななかったでしょうに」と涙を流します。イエスは、横穴を掘り入り口を大きな石で閉じたラザロの墓の前に立たれます。イエスは涙を流し神に祈りながら、墓の入り口をふさぐ石を取りのけさせると、「ラザロよ。出て来なさい」と叫ばれます。すると、ラザロが生き返って墓の中から出て来るという、途轍もない奇跡が起こるのです。
癒やしを祈るうえで、整えておきたい信仰者の心構えがあります。それを3つの点から学びましょう。
1.一つの物事でも、二つの道筋がある
1つ目の道筋は、マルタとマリヤがもった、愛する弟が死んでしまうのではないかという恐れと、現実の死による悲しみという人の思いによる道筋です。
しかし、2つ目の道筋がありました。ラザロの病気がイエスに伝えられると、イエスは、「この病気は死で終わるだけではない。神の偉大さや、御子イエスが救い主であることが明らかになるために用いられる出来事である」と言われました。神のご計画の中での霊的な道筋です。
どんなにあなたを悩ませる問題があろうと、神がともにおられるなら、この2つ目の道筋が可能なのです。あなたが人間的な不安を繰り返しながら想像する道筋とは別の、神の栄光が輝き出る道筋があるのです。
2.二つの道筋の成り行きに、ズレが生じる
マルタやマリヤがたどった、弱く恐れに満ちた人の道筋では、イエスは間に合わず、ラザロの死によって全てが終わったと感じられました。
もう一方で、イエスが神の御心の中で歩んだ道筋があります。ラザロの病気の知らせを聞いても敢えて遅く出発され、「あなたがたが信じるために、ラザロが生きている間にわたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいる」とまで言われて、イエスは神のご計画を歩んでおられました。
私たちの考えと、神のご計画に時々ズレが生じることがあります。ここでは取り返しのつかないズレに思えました。ラザロは死んでしまったのです。しかし、二つの道筋は、同じ物事から始まって、一つの偉大な答えに行き着くことを知らねばなりません。
3.二つの道筋が交わる点がある
出来事は致命的なズレを生じ、ラザロは死んだのです。でも、その道筋がちゃんと交わります。イエスは、死という人間にとっての最大の問題を前に、「わたしが命であり、よみがえりである」と言われ、自らが命の根源なる神から遣わされた救い主であることを示します。そして、死に対して絶望する以外にない人々の前で、神に、「この人々が、信じるようになるために」と祈られ、ラザロを死から生き返らせるのです。
あなたは、クリスチャンとしての物語の展開をお持ちですか。信仰が退化し、悲劇の道筋を作り上げて終わることがありませんように。イエスがともに歩んで下されば、私たちの人生の現実では決して交わることのないように見える二つの道筋が一つになり、祝福をいただくことができるのです。それが、聖書の語るイエスであることを忘れないで下さい。そこには、あなたの病が癒やされ、神の栄光が現わされる奇跡が待っています。イエスがともにおられるなら、私たちにも神のご計画が動いていることを信じましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。